法然が共感した清凉寺の民衆

連載・京都宗教散歩(29)
ジャーナリスト 竹谷文男

燃えさかるお松明=清凉寺本堂回廊から撮影

 3月15日、釈迦を偲ぶ涅槃会法要として、京都市右京区嵯峨釈迦堂の清凉寺で、京都三大火祭りの一つである「嵯峨お松明(たいまつ)」が営まれた。梅の香が漂う広い境内に屋台が所狭しと並び、小中学生や近くの住民、観光客など大勢の人々が火祭りを楽しんだ。
 高さ約7メートルの3基の大松明のそばで護摩木が焚かれ、その火で松明は点火され炎は激しく燃えさかった。ロープが張られて近づけないようになっているが、燃え上がる炎は風を呼び、熱風は参拝者が後ずさりするほどだった。お松明はもともと、釈迦を荼毘(だび)に付す様子を表したものだった。涅槃会は、お釈迦様が生まれたことを祝う灌仏会(かんぶつえ)、悟りを開いたこと喜ぶ成道会(じょうどうえ)とともに、釈迦の三大法会である。
 清凉寺は浄土宗の寺で山号を五台山、本尊は「生身(いくみ)の釈迦」と呼ばれる釈迦如来、開基は東大寺の奝然(ちょうねん)上人、開山は弟子の盛算(じょうさん)である。奝然は寛和3年(987)宋に渡り、古代インドの優填王(うでんおう)が、釈迦37歳当時の姿を在世中に赤栴檀(しゃくせんだん)の木で造らせたという霊像の模刻を、日本に持ち帰った。伝説によると、帰国前の奝然の夢に釈迦が現れ、「真像と模刻像とを入れ替えて持ち帰るように」と命じたので、ここにある嵯峨の釈迦像の方が真像であるという。そのためか「生身(いくみ)の釈迦」、あるいは「三国伝来の釈迦像」と呼ばれ、「釈迦と言えば嵯峨」と言われるほど尊崇され、また清凉寺は「嵯峨の釈迦堂」と親しみを込めて呼ばれてきた。

「生見の釈迦」=『古寺巡礼京都 清凉寺』(淡交社)から

 この像は、古代インドに源流をもつ中央アジア(西域)の仏像の特徴を備え、日本では100体近くが模造され、奈良西大寺本尊像をはじめ各地に「清凉寺式釈迦如来」として置かれている。「生身の釈迦」は評判を呼び、皇族や公家から武士、一般庶民に至るまで人気があった。平安末期、人々は末法の世を感じ、源信の著した『往生要集』を読み、極楽浄土に生まれ変わることを切望していた。
 清凉寺の堂々とした山門(仁王門)を入ると境内左手に、浄土宗の開祖法然(1133─1212)の銅像が立つ。法然は美作国(岡山県)の生まれで、父を刃傷沙汰で失い、母とは生き別れて、比叡山に上がって天台教学を学んだ。18歳で法然房という房号を授かり「智慧第一の法然房」と称されるほどになったが、自分も含め万人が平等に救われる教えを求めていた法然にとっては、自らの誉れは何の救いにもならなかった。
 さらなる求道のために保元元年(1156)、法然は比叡山の黒谷を出て、真っ先に清凉寺に来て七日間参籠した。そこで法然は、貴賎を問わず民衆が救いを求め「生見の釈迦」に願いをかける姿を見て共感し、深い感銘を受けた。万人が平等に救われる道を渇望していた法然は、清凉寺に集まる人々の姿を見て「そのような教えは必ずあるはずだ」との確信を深めた。七日間参籠の後、法然は南都六宗の奈良に向かい、そこで法相宗、三論宗、華厳宗の学僧らと議論を重ねた。
 求めること20年、法然は承安5年(1175)43歳の時、中国の僧・善導の『観無量寿経疏』の一節から、「凡夫の自覚の下、弥陀の本願を信ずれば必ず救われる」という回心を体験し、専修念仏による救いの道を開くことになった。
 それは、自らが心定まらない「凡夫」の自覚のもと、阿弥陀仏の本願力を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば必ず救われるという教えであり、口称念仏という易行(いぎょう)のみが正行で救いに繋がると説いた。それまでの鎮護国家を主な目的とする日本仏教において、易行によって万民が救われるという革命的な教えだった。

清凉寺境内に建つ法然像

 法然43歳のこの年が浄土宗の開宗の年とされ、今年令和6年は開宗850年に当たる。法然は建暦2年(1212)、京都の大谷禅房で80歳(満78)で死去するまで口称念仏一筋に生きた。死の直前の1月23日、弟子の源智の願いに応じて1枚の紙に遺言書とも言うべき『一枚起請文』を書き残した。
 かつて法然が、いまだ悟りにたどり着けず暗中を模索しながら比叡山を下りて清凉寺に参籠したとき、庶民が救われたいと「生身の釈迦」に願う姿は、開宗に至る20年にわたって法然を支え続けたことだろう。
 「生身の釈迦」の像内からは昭和29年(1954)、像にまつわる文書、奝然の遺品、仏教版画、それに内臓の模型(国宝)が発見され、内臓模型は世界最古の絹製だった。
 清凉寺の境内には、愛宕権現社が神仏習合の名残としてあり、かつては愛宕山白雲寺(現・愛宕神社)の山下別当寺だった歴史を伝えている。お松明行事は清凉寺が、火伏せの霊験あらたかな愛宕神社にかかわっていた名残りでもある。


(2024年4月10日付 810号)