創立120年を迎える一燈園
連載・京都宗教散歩(32)
ジャーナリスト 竹谷文男

琵琶湖から京都市内の南禅寺(左京区)近くまで、ゆったりと疏水が流れている。平清盛もかつて夢見た水位差4メートル、長さ8キロメートルのこの水路は、20歳だった一人の学生が夏休みに足を運んで測量して設計し、21歳で自ら工事担当者となって明治23年(1890)に完成、維新後の京都の発展を支えた。流れの両側には桜並木が植わり、途中、一燈園(財団法人懺悔奉仕光泉林、京都市山科区)の施設の傍を流れる。
一燈園は、明治から昭和にかけての宗教家、社会事業家、政治家だった西田天香師が、奉仕と托鉢を旨として開いた共同体で、今年で120年を迎える。4月、西田多戈止前当番(代表者)に代わって、谷野寅蔵師が新当番に就任した。お披露目を兼ねた就任式で参加者一同は、天香師の人となりを短く著した「天華香洞録抄(てんかこうどうろくしょう)『一事実』」を唱読、「一人あり、十字街頭に立つ~」と唱和の声が響いた。
天香師とその弟子を一燈園の第1世代(1世)とすると、天香師の孫だった多戈止前当番とその世代は第2世代となり、谷野当番は第3世代(3世)となる。
多戈止前当番は、天香師から当番を引き継いだ半世紀前を振り返って「天香師の歩んだ跡が道になったので、自分の使命はその道を汚さずに守ることだった」と話した。托鉢と共同生活をしながら、その結果、いくつかの事業体が、例えば農作業からは農業研究所が、印刷からは印刷所が、子供の教育からは学校(燈影学園)が生まれた。「これらの事業を守ることが、私の托鉢となった」と述懐した。
多戈止前当番から引き継いだ3世の谷野当番は、就任式で「苦渋の決断であり、石橋を叩いて渡るではなく、まず渡ってしまわなければならなかった」と話した。6月12日、谷野当番にあらためて一燈園の当番室で話を伺った。
谷野当番は、幼少期からの生活を振り返って「私の祖父はもともと田舎でお寺の住職をしていて、そのまま行けば今ごろ私も住職のはず。しかし、祖父が天香師の生き方に共鳴して一燈園の共同生活を始めたので、父も私も園で生まれ育った。もの心ついた時から『一燈園の子供』と言われるのが嫌で、同じ3世の友達も多感な時期になると一燈園の中で生きていくことに悩み、ほとんどが園を出て行きました」と切り出した。
谷野当番も高校を出れば園を飛び出そうと考えていたが、「私の父はそれを察知して韓国の高麗大学に留学することを勧め、私も一燈園を出られるとルンルン気分で韓国に渡りました。当時はまだ戒厳令が敷かれていて、夜間の外出も自由でなかったが、これで自分の青春が始まると羽を伸ばしました」
こうして韓国で居心地良く10年間を過ごし、外から一燈園を見つめ直すと、自分は「父母の愛情に育まれ一燈園に守られて生きてきたことに気付き、帰れば一燈園に戻ろう」と思うようになった。しかし、「当時、共同生活をしていた同人(仲間)の3世たちで今も園に残っているのは、私だけになってしまった」。

新たに引き継いだ谷野当番は、一燈園はいくつかの課題を抱えていると話す。まず、園の中で共同生活を送っている同人は、ほとんどが第2世代の30人ほどで、皆70歳以上の高齢となり、体を元気に動かせる時間も限られてきている。共同生活から生まれた事業体は、今や一燈園の外に住んでいて、その事業を大切に思って働いてくださっている方々に支えられている。将来も事業体は残さなければならないが、天香師の思想の一部でもその中に残していけるかということがある。また、園の背後の山には納骨堂があり、園で奉仕生活をして頂いている2世の方々をみな無事に人生を全うして帰光(遷化)して頂かなければならない。
谷野当番は、これらの課題を解決してから当番を引き受けるのではいつになるか分からないので、「石橋を叩く前に、まず渡ってしまう」決心をした。また、多戈止前当番の半世紀以上にわたる歩みを存命中に引き継ぐことによって、もう一度一燈園の歩みを全て見せ、それを自分が引き継ぐのだという形でお披露目しておきたかった。そのようなお披露目が出来るのは多戈止前当番の存命中だけであり、それ故「まず橋を渡った」。奉仕と托鉢から出発した一燈園は一種、宗教的な共同体であるがゆえに抱える伝統と存続の課題に対して、谷野当番は「先に橋を渡りきる」ことによってスタートを切ったと表現した。
谷野当番はお披露目の挨拶の最後を、自身が最も好きな天香師の言葉で締めるつもりだったという。「『与えられた場所で生きる意味を見つけない者は、どこへ行っても満足はない』という言葉ですが、式全体の時間が迫っていたこともあって、私は言い忘れてしまいました」と笑った。
しかし、一燈園で育ち、ある時は悩んだこともあった谷野当番が、師の言葉に従って生きようとして当番の役目を引き受けたであろうことは、誰もが感じることではないだろうか。
(2024年7月10日付 813号)