1300年前から良港だった神戸

連載・神戸歴史散歩(2)
生田神社名誉宮司 加藤 隆久

メリケンパーク

山と岬、島に囲まれ
 神戸港が開港150年を迎えた平成29年(2017)2月18日と25日に2週連続で放送されたNHKの「ブラタモリ」兵庫県「神戸編」のお題は「神戸はなぜ1300年も良港なのか?」だった。ポイントの地を訪れながら、専門家の解説で地形・地質から地域の歴史を読み解いていく同番組は、面白くて説得力がある。
 タモリさんら一行のぶら散歩は、神戸港を象徴する「メリケンパーク」から始まった。神戸港事業の一つとして、1987年にかつてのメリケン波止場と神戸ポートタワーが建つ中突堤の間を埋め立てて造成されたメリケンパークには、神戸海洋博物館やホテルオークラ神戸、神戸メリケンパークオリエンタルホテルなどのリゾートホテルがあり、神戸を代表する景観になっている。同番組放送の6年後、新型コロナウイルス感染症が5類に移行してからはインバウンドが回復し、中国人はじめ外国人観光客があふれるようになった。
 メリケンパークの東側岸壁には神戸港震災メモリアルパークがあり、阪神淡路大震災によって被災したメリケン波止場の一部がそのままの状態で保存され、見学できるように整備されている。

神戸港震災メモリアルパーク

 メリケンパークの西側にある神戸ハーバーランドは、1982年に貨物駅としての営業を終了した旧国鉄の湊川貨物駅や、川崎製鉄(現・JFEホールディングス)・川崎重工業など沿岸一帯の工場の跡地約23ヘクタールを再開発した市街地で、1992年に街開きされた。神戸モザイクなどの複合商業施設が集積し、都心にありながら郊外的な雰囲気で、約5000台の駐車場を備え、家族連れが車で来やすい設計になっている。これからの住みよいまちづくりの一つと言えよう。
 クルーズ船に乗ってタモリさんら一行を案内した神戸海洋博物館担当の森田潔・神戸港振興協会参事は、神戸港が良港である理由として、大型船が通れる水深があり、淡路島や和田岬が潮流を、六甲山が西風を防ぐため波が静かで、陸揚げした荷物を輸送するのに便利な上、神戸・大阪という大都市の近くにあることを挙げていた。さらに六甲山の緑の山並みが、寄港船の船長らに称賛されているという。
 神戸港の客船ターミナルは水深が12メートルあり、海面下11メートル、16万トン規模の巨大な船舶まで着岸できる。瀬戸内海から30キロの近さにある六甲山には、大阪の淀川のように大量の土砂を海に運ぶ大きな川がなく、神戸港付近の海底は遠浅にはならないのである。これらの条件は、港の記録が残る奈良時代から変わっていない。
 
布引の滝の清流
 神戸港が世界の良港とされるもう一つの理由は、急峻な六甲山から流れる水にある。「赤道を越えても腐らない水」として、世界の船乗りに愛されているからだ。

神戸ハーバーランド

 神戸の水が腐らないのは有機質が少ないから。さらにカルシウムやマグネシウムなどのミネラルの含有量が1リットル当たり30ミリグラムと適度に少ない軟水で、飲んでおいしい生活用水として、長い航海を支えている。
 新幹線の新神戸駅から北へ500メートルという近さに、三大神滝の一つで、日本の滝百選にも選ばれている「布引の滝」がある。六甲山の麓を流れる生田川の中流にあり、上流から、雄滝(おんたき)、夫婦滝(めおとだき)、鼓滝(つづみだき)、雌滝(めんたき)と名付けられ、市街地の近くにあるのに、深山幽谷の気配を漂わせている。三大神滝のあと二つは、和歌山県那智勝浦町の那智滝、栃木県日光市の華厳滝だから、その評価は高い。確かに目の前の滝は、まさに清流だった。
 古代から知られる布引の滝は歌に詠まれ、遊歩道にたくさんの歌碑が立っている。 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての歌人で「小倉百人一首」の選者でもある藤原定家は「布引の滝のしらいとなつくれは 絶えすそ人の山ちたつぬる」と、平安時代初期から前期にかけての歌人で『伊勢物語』の作者とされる在原業平は「抜き乱る人こそあるらし白玉の 間なくも散るか袖のせばきに」と詠う。歌碑の歌を味わいながら歩くと、急な坂道も苦にならない。

布引の滝の雄滝

 遊歩道の奥には、川の流れを二つに分岐させるある分水堰堤(えんてい)がある。豪雨に伴う洪水時には貯水池につながるゲートを閉めて流路を切り替え、大量の水が運んでくる有機質を含む砂はバイパスに流し、貯水池に入らないようにしている。水道水の水質を保つこの装置は、明治41年(1908)に完成した。
 大輪田泊が確認できる最古の史料は奈良時代の740年頃だが、創建が201年と伝わる生田神社の話にも神功皇后が乗った船や、朝鮮からの使節を上陸させて接待する話が出てくるから、港の歴史はもっと古いことになる。
 道が整備されていない古代の輸送は、陸よりも海や川が便利だったので、その拠点としての港の存在が古いのは当然であろう。縄文時代の人たちも、想像以上に舟で交易し、交流していた。そんな古代からの港の発展の歴史を、神戸に住む私たちは目の当たりにしているのである。

(2024年4月10日付 810号)