パウロ三木

2024年2月10日付 808号

 「わたしは神に対して生きるために、律法に対しては律法によって死んだのです。わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。
 わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」(ガラテヤの信徒への手紙2:19─20)

 復活したイエス・キリストによって回心に至ったパウロは、後半生をキリストと共に生きる人生に徹した。信仰のゆえに捕らえられ獄に繋がれ、死ぬにしてもキリストのようにその身を捧げていった。それがキリスト教徒の模範ともなっていく。
 今からおよそ430年前の日本でも26人のキリスト教宣教師・信徒が京都から長崎に曳き行かれ、西坂の丘で尊い生命を捧げた。そのひとりパウロ三木はキリストのごとく、十字架上でこう叫んだ。「私は国王とこの私の死刑に関わったすべての人々を許す。」1597年2月5日が殉教の日にあたる。

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