仙洞御所の庭が秘める死生観

連載・京都宗教散歩(17)
ジャーナリスト 竹谷文男

醒花亭の前に立つ織部の切支丹灯籠、左手奥にさざえ山、右手に洲浜と南池

 京都御苑の一角にある仙洞御所(せんとうごしょ)は江戸期に後水尾上皇が住み、庭は小堀遠州が池泉廻遊式庭園として造った。御殿は焼失したが、広い庭は残っている。
 仙洞御所の庭には北池と南池があり、それぞれ散策路によって一回りできる。北池を巡ると六つの橋を渡る。最初の橋は阿古瀬橋(あこせばし)と呼ばれ紀貫之の邸宅が近くにあって、橋は貫之の幼名「阿古久曾(あこくそ)」に因むとされる。当時は幼名に悪い言葉を使って鬼や魔物から隠そうとする習慣があったが、今ふうに言えば「阿古のクソガキ」という意味か。六つの橋はこの世からあの世すなわち「六道世界」への渡りを連想させ、阿古瀬橋の由来とともに北池には妙に「この世的」な生活感がある。
 北池を一周すると南池に出て、南池の西側には洲浜が南北に広がっている。洲浜には長径20〜30センチの楕円形をした灰色の石がきれいに敷き詰められている。良質で均一の石を集めるために米一升と交換したので「一升石」と呼ばれた。供出した地方では御所のために供出したことを誇りに思い、碑に印している。洲浜は陽がさすと白く美しく輝いて見え、岩手県宮古市にある浄土ヶ浜を思わせる。南池は、三つの橋を越えると一回りすることになる。
 洲浜の西には北から、神社の「柿本社」、小高い丘の「さざえ山」、そして「織部の切支丹灯籠」が並んでいる。この燈籠は当時の戦国大名で芸術家だった古田織部が創案し、燭台の下の支柱が十字架を模したかのように横に張り出し、地面に近い部分にはマリア像とおぼしき浮き彫りがある。「神社、山、燈籠」と三つ並んだ“ランドマーク”は何を象徴しているのだろうか。
 柿本社は、万葉歌人である柿本人麿が「火止まろ」に通じるので、防火の神として祀られたと言われる。梅原猛は『水底の歌』で「人麿水刑死説」を唱えた。万葉集に収められた人麿の歌には水死、あるいは水刑死を連想させるものが幾つかあり、水死には沈下して死に至るイメージがある。

さざえ山の頂上に残る石積み

 さざえ山は古墳と言われてきた小高い丘で、その名の通りさざえの形をしていたとすれば、頂上までらせん状の道が付いていたか、あるいは階層的な盛り上がりがあったはずだ。下から見ると確かに、頂上近くに何層かの石積みがある。さざえ山の例としては、江戸期の兼六園(金沢市)に、石工集団の穴太衆(あのうしゅう)が造ったらせん状の石積みの道が今も残っている。
 「織部の切支丹灯籠」は洲浜の南端、醒花(せいか)亭と呼ばれる茶室の前に立つ。茶室には亭の名の由来となった李白の詩文が掲げられている。その一節「夜來月下臥醒 花影零亂 滿人矜袖」(夜来月下に臥し、醒むれば花影雲飛して、人の襟袖に満つ)から醒花亭と名付けられ、「星」の字が含まれている。南池を半周すると醒花亭の前に出るが、茶室の前には切支丹灯籠があり、マリア像の向こうにさざえ山が見え、その向こうには木々に隠れて柿本社がある。
 北池で感じる一種の生活感と比べると、南池は白く輝く洲浜が広がり反対に「あの世」感がある。南池の「柿本社、さざえ山、切支丹灯籠」という組み合わせを「あの世」との関連で考えてみると、死後の世界を見て書いたというダンテの叙事詩『神曲』が思い浮かぶ。
 『神曲』でダンテは地中深く地獄に降りて行くが、柿本社に祀られる人麿が水刑死したことは、地獄を連想させる。またダンテは、人々が生前の罪を清めるため登る幾つかの段階からなる煉獄山を登るが、さざえ山は煉獄を連想させる。煉獄山の頂上でダンテは「永遠の淑女ベアトリーチェ」に出会い天国に導かれ、至高天で純白の薔薇を見て世界を動かすのは神の愛であると知るのだが、ベアトリーチェは切支丹灯籠に浮き彫りされたマリア像を想起させる。

洲浜の左奥にあるさざえ山と柿本社

 織部が燈籠を創案した当時、京や堺の豪商や戦国大名の中からも多くのキリシタンが出た。茶の湯の創始者千利休の高弟「利休七哲」の中には蒲生氏郷、高山右近など四人がキリシタンだった。キリシタンたちは密かにこの茶室で灯籠の地面近くに彫られたマリア像を拝しながら、茶会に似せてミサ(聖餐式)を行っていたのかもしれない。
 古田織部がキリシタンだったかは判然としないが、織部も利休七哲の一人で、利休亡き後、茶の湯の後継者と目されていた。遠州は作庭については織部の弟子だったが、遠州が六道世界へ渡るこの世と死後の三界とを意識して造ったかどうかは、分からない。
 明治期に日本文化の本質を把握し、日本に帰化した文豪ラフカディオ・ハーンは、この庭を「生きている庭」と評した。この庭は見る人に、意識の深層に置き忘れていた様々なデジャヴを浮かび上がらせるのか、あるいはこの庭は洋の東西を問わず人々が気付かずに抱いている死生観を、その幽玄の奥に秘めているのだろうか。。(2023年4月10日付 798号)