山本覚馬と明治の京都復興
連載・京都宗教散歩(2)
ジャーナリスト 竹谷文男
京都東山のふもとの名刹・南禅寺、その東にある小高い丘の上、同志社共同墓地に山本覚馬の墓が建つ。覚馬は会津藩士で、幕末、京都守護職を任じられた藩主松平容保と共に京都に赴任し、維新後も京都にとどまり、京都復興に尽力した。覚馬は、2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重の実兄である。八重は会津戦争で鶴ヶ城に立てこもり、連発式のスペンサー銃を手に薩長軍と戦った。その後、同志社大学(現)を創設する新島襄の妻となった。新島夫妻の墓も覚馬の墓の近くにある。
数奇な運命をたどることになる覚馬は幕末、鳥羽伏見の戦いで薩摩軍の捕虜となり、御所の北側にあった薩摩藩邸の牢にとどめられた。すでに盲目となっていた覚馬は、牢の中で日本が将来進むべき道を「管見」として口述筆記させた。勝海舟と共に江戸で佐久間象山に蘭学を学んだ覚馬は、西欧の実情を踏まえて開明的な日本の将来像を描いていた。これを読み、覚馬の慧眼に心服したのが、会津と対立していた薩摩の西郷隆盛や公家の岩倉具視。ちなみに覚馬は、最後の将軍徳川慶喜が大政奉還を発表した二条城会議で、泰然として言葉を発しなかったと言われている。
維新後、牢を出た覚馬は、長州藩出身の槇村正直京都府知事の顧問に抜擢され、槇村の知恵袋として博識と人脈を活かし、維新後の京都の復興に当たることになった。
覚馬はまず、教育、産業、社会インフラ等の整備に着手した。日本初の小学校、初の高等学校(京一中、現・洛北高校)、初の女子校(女紅場、現・鴨沂高校)を建て、博覧会を開き、維新直後でありながらも国際的に開かれた観光京都をスタートさせた。当時、“賊軍出身”と後ろ指を指されることが多かった会津出身の覚馬が、このように活躍できたのは極めて異例だった。
さらに覚馬は、琵琶湖から水を引く疎水事業を後押しした。琵琶湖疎水は、平清盛や豊臣秀吉も夢見た京都市民にとっては念願の水の恵みである。疎水によって日本初の水力発電所が作られ、その電力を使った路面電車が日本で初めて市内を走った。疎水の一部は南禅寺から京都大学の東側を北上し、「哲学の道」と呼ばれて人気のある散策路のそばを流れている。南禅寺の境内には、当時創られた水路閣と呼ばれるローマ風レンガ造りの水道橋が、周囲の緑に美しく調和している。
この琵琶湖疎水を設計したのは工部大学校(東大工学部の前身)の学生、20歳の田邊朔郎(さくろう)だった。朔郎は、東京から夏休みに京都に来て実地測量し、卒業論文として書き上げ、卒業後、21歳の若さで京都府に赴任し疎水建設を担当した。朔郎を推薦したのは大鳥圭介で、大鳥は、幕府側に付いて箱館五稜郭で薩長軍と最後まで陸軍奉行として戦ったが、維新後は技術官僚として明治政府で殖産興業を進めていた。
覚馬は、御所の北側にあった薩摩藩の敷地約6000坪を維新後、譲り受けていたが、それを新島襄に譲った。キリスト教に基づく学校建設のためで、今の同志社大学になった。覚馬自身は幕末、漢文によるキリスト教の入門書を読んでいて、その精神性の高さと普遍性を認めていた。維新後、プロテスタントの洗礼を受け、後にカトリックに改宗した。
幕末の京では、尊皇、佐幕、薩長、会津などが入り乱れ戦っていたが、維新後、江戸が東京になり、明治天皇が遷座されて、京都はさびれそうになっていた。しかし、その京都が奇跡のような復興を遂げたのは、なぜだろうか。
維新後、出身藩による対立を越えて、京都の復興に向けて協力し合う姿が見られた。薩摩は藩邸だった広大な敷地を覚馬に提供し、覚馬はそれを新島襄に譲り、今の同志社大学の基となった。長州出身の槇村知事は会津出身の覚馬を顧問として重用し、施策のブレーンとして使った。他にも薩摩、長州などかつて会津に対立していた藩の人材が、一つになって覚馬を支えた。このことが維新後の京都の復興と発展とをもたらした。
一方で、幕府から京都に送り込まれて亡くなった多くの会津藩士がいたことも事実である。彼らの墓は、会津藩が本陣としていた黒谷金戒光明寺の一角にひっそり佇んでいる。覚馬の生きざまは、維新後に不遇なことが多かったかつての会津藩士を奮い立たせ、あるいは慰めたであろう。
覚馬の妹八重の夫はキリスト教教育者として有名な新島襄であり、八重もクリスチャン。この三人の信仰遍歴も興味深いが、個人の魂の遍歴だけでなく、当時の京都の復興に際して人々は、怨讐を許し、怨讐とともに、発展に向けて生きようとしたことに注目したい。宗教性の中でも最も難しい「許し」を実践したといえる。
京都の復興を語るとき、故人の先見の明と進取の気概で達成され、今に残る産業遺産が目につくが、それ以上に、底流に流れていた、怨讐を許して一つになって新しい日本を創ろうとする夢に向かい、歩んだ当時の人達の内面的な努力と、宗教性ともいえる心的エネルギーに改めて目を向けたい。
(2021年12月10日付 782号)