五行の長所と短所
連載・カイロで考えたイスラム(27)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉
ムスリムの義務である5つの行為「五行」は、「六信」とともにイスラム教の重要な定めである。その長所と短所について考えよう。
五行の第一は信仰告白(シャハーダ)で「神の他に神はなく、ムハンマドは神の使徒である」と証言すること。これは、唯一神を信じ、ムハンマドを預言者と信じるイスラム教徒にとって最も中心的な信仰告白であり、それを言葉に言い表して確認、自覚することは重要な行の一つである。信仰告白の長所は、自分がイスラム教徒であることを常に自覚し、イスラム教徒として恥じない行動を決意させることにもあるのだろう。神への尊敬や感謝、ムハンマドへの尊敬や感謝もあるに違いない。
この告白の短所は、多神教徒やムハンマドを預言者と認めない人々に対して、裁きの感情を持つようになること。自分の信仰に固執するあまり、他人にも信教の自由があることを忘れ、独善的・排他的になりがちだ。明証章6節に「啓典の民の中、(真理を)拒否した者も、多神教徒も、地獄の火に(投げ込まれ)て、その中に永遠に住む。衆生の中、最悪の者である」とある。これを文字通り解釈すると、数多くの悲劇が発生しかねない。イスラム国(IS)はコーランの言葉をそのごとく適用しようとする集団で、多くの残虐な行為を、この考えにより正当化している。
五行の第2は、日に5回、神に礼拝(サラー)すること。一般常識からすれば、1日に5回も?というのが正直な感想だが、ムハンマドが最初に神から命じられたのは、1日50回の礼拝。それは無理なので5回に減らしてもらったという伝承がある。確かに、人間が罪を犯さないためには、常に神を意識することが必要だと考えれば、50回でも少ないかもしれない。しかし、それでは現実の生活が成り立たないので、5回くらいが適切だろう。1日5回の礼拝の長所は、常に神と共にいることを実感し、罪を犯さない可能性を拡大することにある。
短所を探せば、それでも現実の生活に支障をきたすこと。カイロの近所の時計屋の主人は、商売をそっちのけにモスク通いを続けていた。
五行の第3は「喜捨(ザカート)」と言われる献金をすること。献金の長所は、それが正しく使用される限り、貧者や身障者、母子家庭など社会的弱者の救済になり、社会の公正化につながることである。イスラム教徒の献金意識は高く、義務的喜捨であるザカートのみならず、自発的喜捨であるサダカまであり、それが実施されているのは驚きだ。
このことの短所の一つは、集まった献金の使い道だろう。会計報告をせず、誰がいくら献金をしたかは公表しない(出来ない)ので、収支の実態は不明瞭。かなりの金額が、イスラム過激派集団に流れているともされる。
もう一つの短所は、献金を死後天国に行く条件と考え、純粋奉仕であるべき行為が、いつの間にか、天国に行くためという損得勘定になっていることだ。これでは元も子もないのではないか。献金は条件なしの純粋なものであって欲しい。ある日本の通信社の特派員は、イスラム教徒の献金を「天国に行くための貯金」と評し、動機に疑念を挟んでいる。
五行の第4は断食(サウム)で、ラマダーン月の日中に飲食や性行為を慎むこと。これは、傍から見ていて、イスラム教の信仰を強くするにはもってこいの方法だと思える。なぜなら、断食の理由の一つが、貧しく飢えている人々の経験を自分も追体験し、彼らを救うようになるからだ。富者も貧者も共に同じ飢えの感覚を味わうことから、連帯感が強まりそうだ。
ラマダーンの期間、富者は貧者を招き、無料で食事を提供する風景が街のあちこちで見られる。ホテルなどの組織から個人経営者まで、富める者は貧者に惜しみなく与えるという相互扶助が、イスラム信仰の下に実現していることは驚きだ。さらにこの期間はいつもよりコーランを読み、モスクに通い、信仰の原点に立ち帰る時としても活用されている。
実利的な側面もある。日ごろ、信仰が薄く、モスクに通わない人の多くが、この期間に断食し、モスクに通えば、過去の罪が許されると信じている。1年に1か月の日中断食をすることで、過去1年間の罪が清算され、天国へ行けるのなら、これほど有難いことはない。ラマダーン期間を終えると、誰もが心の負債を晴らし、晴れ晴れとした気持ちになって新たな日常に出発することが出来る。
五行の第5は巡礼(ハッジ)で、経済的・肉体的に可能であれば、巡礼月の8日から10日の時期を中心に、メッカのカアバ神殿に巡礼すること。
聖地巡礼は日本の三十三観音霊場や八十八か所四国遍路、カトリックのサンティアゴ・デ・コンポステーラなどのように各宗教に見られる信仰の実践である。中でもサウジアラビアの聖地メッカとメディナを巡礼するイスラム教のハッジは、毎年、数百万人が集まることから、圧死や負傷など偶発的な事故や感染症も起こりやすい。
もっとも今年は新型コロナウイルス感染症の蔓延を防ぐため、サウジ政府は7月下旬に始まるハッジについて、内外からの巡礼を一時的に停止することを決めている。新型コロナはイスラム教の信仰実践の在り方も変えるかもしれない。
(2020年6月10日付764号)