啓典を信じることの長所と短所
カイロで考えたイスラム(23)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉
イスラム教徒が啓典であるコーランは神からの啓示であると信じている理由は、読み書きの出来ないムハンマドの口から出るアラビア語が美しく、韻を踏み、完璧であったことが、その証明の第一になっている。また、旧約聖書の一部も啓典とし、他宗のユダヤ教、キリスト教にも存在意義を認めていることで、長所と言えよう。
これに対して短所は、聖書の一部を啓典として認めてはいるものの、コーランを最後最大の啓典として、その優位性を主張していることだ。コーランよりもずっと古い聖書との間にかなりの不整合性があり、問題のひとつである。
創世記の失楽園の物語についての記述もかなり聖書と異なっているが、最も典型的なのは、アブラハムがモリヤ山上で神に捧げようとした人物が、聖書はアブラハムの正妻サラの子イサクと記しているのに対して、コーランはアブラハムのはしためハガルの子イシュマエルだとしている点だ。これは、アラブ民族の祖先であるイシュマエルを持ってくることにより、アラブ民族こそ神に祝福された民族だと主張するために、聖書の内容を改竄したと、ユダヤ教徒やキリスト教徒は指摘している。改竄を何とも思わないイスラム教徒は信用できない、と主張されるゆえんである。
ムハンマドは、教育が不十分なことから、聖書の内容を正確には知らなかったからだとする見方もある。ただイスラム教では、実際に祭壇に上げられたのはイサクではなくイシュマエルであったのに、聖書は人間が間違って記述した、としている。歴史的な実証が待たれる部分だ。
もう一つの問題点は、メッカ啓示は概して啓示らしい響きがあるのに対し、メディナ啓示はどうなのかである。アラビア語が不完全な筆者には判じかねるが、コーランの第一次、第二次編纂はムハンマドが他界後のことなので、意図的に編纂された可能性は否定できない。啓典が歴史的・科学的観点からの厳密な精査を受ける必要がある理由がそこにある。
キリスト教の場合、宗教改革で聖書に戻る運動が興隆した一方、科学の勃興と経験主義、合理主義などの理性主導の哲学の発達で、聖書それ自体が粉々に分解されてしまうほど分析、研究されるようになる。終末的予言や奇跡の事実性に対する疑問が噴出し、聖書の一字一句が神からの啓示としてきた逐語霊感説は徹底的に批判され、神の啓示ではなく、人間が書いた書物であると論証された。
非神話化や聖書批評学、様式史研究が盛んになり、実存主義的解釈学がキリスト教神学の主流となった結果、文体の比較研究により、旧約聖書のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)はモーセが書いたものではなく、多くの聖書記者の合作であることが判明した。新約聖書でも、イエスが語ったとされる言葉にも、聖書記者による装飾があり、記者の思想、信仰を表現したものとの見方が一般化した。「神の言葉」や「啓示の書」から「人間による言葉」に転落し、キリスト教徒にとっては信仰を揺るがす出来事が出現することになった。
しかしこのことは、キリスト教徒を「聖書の絶対性」や「神のための聖戦」「神の名による暴力」などの思考や行為から解放し、より冷静、客観的に物事を見つめ判断する方向に変化させたと言えよう。聖書だけ、キリスト教だけが正しい、キリスト教徒だけが救われ、異教徒は皆地獄に行くなど、自分たちの信仰を絶対化し、他の信仰を裁く自己中心的な思考を見直し、他者の信仰を認め、人権を尊重し、民主主義を推進する方向ヘと舵を切らせることになった。独善と偏見、排他的な姿勢を転換させ、他者を受け入れる寛容の精神を拡大することに寄与したのである。
現代のイスラム教の短所の一つは、啓典との関係で、コーランは絶対的な神の啓示であるから絶対的に正しいと信じることから生じているようだ。イスラム教では、キリスト教が経験した教派分裂を回避するため、自由な解釈を禁じたことから、聖典研究に自由が認められず、限定された人にしか聖典研究が許されなかったため、キリスト教が経験した聖典の科学的研究の道が阻まれた。その結果、コーランは無傷のまま読み、語り続けられ、イスラム教徒の間に頑迷固陋な信仰が残留することとなった。それが今日、イスラム過激派諸組織を通じ世界中に暴力の嵐を起こすようになった一因と言えよう。
キリスト教徒になったローマ皇帝ユスティニアヌス1世は529年、キリスト教と無関係の哲学を教えているとの理由で、プラトンとアリストテレスがアテナイに創設していた大学を閉鎖した。失職した教授たちは東のササン朝ペルシャに逃れ、膨大な書籍と共に現地の大学に身を寄せたためイスラム哲学が発展した。その黄金期が12世紀で、後にイタリアに還流し、ヨーロッパ啓蒙主義の端緒となるルネサンスを起こすことになった。
12世紀まではイスラム世界のほうがヨーロッパよりはるかに進んでいたのに、宗教改革に続くルネサンス、産業革命の時代を経て遅れを取るようになり、近現代においてはヨーロッパ諸国の植民地的な支配を受けるようになったのは、イスラム教の信仰的な固陋さが理性の健全な発展を阻害したからで、イスラム世界の最大の不幸と言える。
ヨーロッパ諸国に住むようになったイスラム教徒の間には、文化的な影響から理性的、合理的にイスラム教を見直す動きもあるが、イスラム世界全体からはごく一部にとどまっている。
イスラム世界が啓典研究の自由を受け入れるよう、イスラム教指導者の奮起が待たれるゆえんである。キリスト教が経験したような宗教改革がイスラム教でも起こり、啓典の科学的解明がなされるようになれば、「他宗教との共存」や「神の名による暴力の否定」など、多くの人々が待ち望む本来のイスラム教の再生が出発すると考えられる。イスラム指導者の決意と決断を待ちたい。(2020年2月10日付760号)