予定論をめぐり分裂

カイロで考えたイスラム(11)
カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 イスラム神学で大問題として後々まで論争の源となった一つが予定論、宿命論だ。井筒俊彦氏の見解を基に、その対応から各派の特色を見ていこう。
ジャブル派
 ジャブル派は、神の予定、宿命の絶対性を主張し、人間にいささかの自由意思も認めない。その根拠は勿論コーランで、87章3節には「アッラーは全てをあらかじめ定め給える」、9章51節には「あらかじめ神の書き定め給うた殊の外、我らに起こることは無い」とあることから、人間はその一挙手、一投足、いや、一瞬のまばたきすら、自分の自由にできるものではないという極端な予定論になる。
 その結果、善も悪も神の意志によるのであり、人間が善を為そうが悪を為そうが、人間の責任ではなく、従って、善い事をしたから神の賞を受け、悪い事をしたから、来世で罰を受けるという道理はない、という結論になる。
カダル派
 それに対し、神の予定、宿命を正面から否定し、人間の自由意思を認めるのがカダル派。いつ、どこで、誰によって興されたかは不明だが、ウマイヤ朝の末期近く、シリアのダマスカスに発生した思想的運動とされる。当時、イスラム世界は次第に統一性を失い、社会にいろいろの矛盾が発生、様々な罪業が公然と行われ、いつ果てるかもしれない動乱、陰謀、不正、悪業を前に、人々は悪の数々を神がするのだろうかと疑問を持つようになった。そして、全能で完全無欠で至高最善の神が、これほどの悪業を行うはずがない、神以外の者が人間をそそのかし、やらせているに違いない、と考えた。コーランも22章4節、35章5─6節、41章36節、58章20節で、悪を人にさせるのは神ではなく悪魔だと断言している。。
 更に、悪い事をするのは「その心、石の如く硬く」、「真理を受け入れない曲がった人間の心の働きだ」(2章59節、50章26節)ともあり、また、神に導かれながら、途を外れた民族もいた(41章16節、76章3節、39章42節など)。
 45章21節では「神は天地をあだやおろそかに創造し給うたのではない。それぞれの人が皆、自分自身の所業に応じた報酬を戴けるように創造し給うたのだ。誰一人不当な扱いを受ける者はいない」と指摘しており、神は善行に対して賞を、悪行に対して罰を下し給うとの考えに辿り着く。悪や善は人間が勝手にすることで、悪や不正を神に帰すのは言語道断である、とも主張した。
 こうしてカダル派は、「人間は自分の行為を創造する」と主張するに至った。これが「行為の創造」で、カダル派の中心的なテーゼとなる。この思想が、カダル派の延長、発展ともされるイスラム史上最初の大思想運動ムアタジィラ派の根本的信条になっていく。
 正統カリフ時代最後のカリフで、預言者ムハンマドの娘ファーティマの夫、第4代カリフのアリー・イブン・アブ・ターリブ(656─661)が殺害された後、カリフを名乗ったのが、暗殺された第三代カリフ、ウスマーンにより当時のシリア支配者に任命された、ウスマーンと同じウマイヤ家の血筋を持つムアーウィアだ。彼は661年、都をダマスカスに定め、ウマイヤ朝を成立させたが、シーア派やハーリジ派は認めなかった。殊にハーリジ派は神学的な批判を始めたことから、ウマイヤ家ではその主権を理論付けしなければならなくなり、その役割を担ったのがムルジア派だった。
ムルジア派
 ウマイヤ家による虐殺や、(ハーリジ派などから見ての)異端行動に対し、ムルジア派は批判の矛先を外に向けるべく、「多神崇拝こそあらゆる罪の中で最大の罪だ」と規定し、この最大の罪を犯した者以外の人々に対しては、「いたずらに非難の矢を向けるべきではない」と自己弁護した。「もし彼らが悪いのなら、神自らが最後の審判の日に、これを裁くはずだ」と主張、ハーリジ派などからの批判に対抗した。
 即ち彼らは、「人間に対する判決は人間が下すべきではない、神に一任すべきだ。神が裁き給う日まで、延期して待たねばならぬ」、「神は唯一、ムハンマドは神の使途」と信仰告白し、「メッカの神殿の方角に向かって祈る人々は全て真のイスラム教徒と認めよう」と主張したのだ。
ハーリジ派
 ハーリジ派は元々アリーの支持者だったが、657年のアリー対ムアーウィアの戦い(スイッフィーンの戦い)以降、アリー陣営を離脱し、ムルジア派に反対するようになった。同派は信仰において「行為」を重視し、信仰には増減があると考えたとされる。信仰は信仰告白のみでは足りず、実践的な要素、正しい行為がなければならないと説く。
 「信仰とは、信仰告白と共に行為である」と主張し、信仰告白しながら、実生活で「口を開けば虚言を吐き、契約をすれば相手を騙し、約束すればこれを履行せず、訴訟を起こしては不誠実」なら信徒と言えない。行いが正しくない者は信徒ではない、非イスラム教徒であるから殺害すべきだとまで主張するようになった。同派の過激な人々は、常に剣を手にイスラム教徒に質問し、思想に合わない答えだと直ちに刺し殺したという。
 これにムルジア派は反対し、信仰と行いとは別、信仰は行為とは関係なく成立すると主張した。例えば、月経中や産褥のある女性は、法的に規定された礼拝を免除されるが、神によって信仰を免除されたとは言い得ない、貧しい者はザカートを免除されるが、信仰を免除されることはあり得ないからだ。
 こうしてムルジア派はついに、「信仰による罪からの救い」を主張するに至った。人は信仰によってのみ救われる。信仰のみが人を地獄の業火から救済する。多神崇拝や偶像崇拝の大罪を犯さない限り、どんな罪を犯そうが、アッラーと預言者ムハンマドに対する信仰さえ失わなければ、永遠に地獄に落ちこむことはなく、必ず救われる。信仰さえあれば罪人もイスラム教徒で、そういう人を非信徒、異端者の刻印の下に、無慈悲に排除するのは許されない、などと主張した。
 なお、人間の自由意思と神の予定に関して、同派には二つの意見があり、意見の不一致から14の分派があったという。
 このように、神の予定と人間の自由意思、信仰と行為の関係などを論じるうちに、イスラム教徒の間にも合理主義が発達し、やがてムアタズィラ派の出現につながる。
(2018年12月10日付746号)