法然(2)/秦氏との深いかかわり

岡山宗教散歩(2)
郷土史研究家 山田良三

 内村鑑三が「仏教の宗教改革者」と高く評価した法然について、山折哲雄氏は『法然と親鸞』で、梅原猛氏も『法然の哀しみ』で同様の評価をしています。法然がそのような人物になったのには、両親や彼の生まれ育った故郷の風土や人々の信仰が深くかかわっていたと思われます。
 そこで、法然の誕生地にある誕生寺(岡山県久米郡久米南町)を訪れ、漆間徳然住職の話を聞き、周辺にある縁の地に足を運びながら、当地の風土や歴史を学んできました。誕生寺境内や周辺には上人の遺跡が数多く残っています。
 誕生寺は、元は法然の生家を弟子の法力房蓮生(熊谷直実)が寺にしたものです。熊谷直実は源氏の武将で、源平合戦のおり須磨の海岸で平家の若武者平敦盛と出会い、年若くわが子とたがわぬ若武者を討つことを躊躇したのですが、「後々供養を!」と誓って泣く泣く敦盛の首をはねました。このことを深く心に病んだ直実は、建久三年(一一九三)に出家して法然の弟子になります。翌年、師の命を受けた直実は、師自ら刻んだ自刻像を背負い、美作の地を訪れたのです。
 すぐには生家が見つからず、あちらこちらと彷徨った後、ようやく稲岡の生家にたどり着くことができました。JR津山線誕生寺駅から誕生寺に向かい、誕生寺を望む道が丁度JR線をくぐったところに、直実がはるかに師の生家を望んで涙した所があります。
 法然は比叡山に登って以来、一度も故郷に帰ることはありませんでした。しかし故郷への思いは人一倍強かったのでしょう。だからこそ自らの像を刻んで直実蓮生に託したに違いありません。その師の思いを痛いほど感じていた直実だったからこその涙だと思います。直実は漆間家の旧宅を寺に改め、師から託された自刻像を奉じました。これが現在の誕生寺であり、御影堂に奉られている本尊です。
 国の重要文化財となっている誕生寺の山門をくぐると、同じく重要文化財の御影堂が正面に、左手に樹齢八百五十年という銀杏の巨木が出迎えてくれます。この大銀杏は逆さ銀杏と呼ばれて、菩提寺からの帰路、法然が杖にしてきた銀杏を刺したところ、芽を出し生長したものだと伝えられています。
 法然の幼名は勢至丸です。勢至丸は八歳から十三歳の間、母秦氏君(はたうじのきみ)清刀自の弟の観覚が住職を務めていた菩提寺で修行しました。この間、何度か生家と菩提寺を往復したのでしょう。誕生寺から菩提寺までは四〇キロ余りで、子供の足でも朝早く出れば夕方には到着する距離です。
 菩提寺にも勢至丸が植えたとされる大銀杏があります。樹齢九百年、国の天然記念物、銘木百選にも選ばれている大銀杏です。その親木とされるのが、国道53号線の奈義トンネルを抜けた先にある阿弥陀堂の大銀杏です。学問成就を祈願した勢至丸が、この銀杏の枝を菩提寺の庭に挿したと伝えられています。また誕生寺から菩提寺に向かう途上の勝央町河原には、出雲井(河原)の大銀杏があり、勢至丸が道中、弁当の箸を挿したものが大きくなったと伝えられています。
 なお、河原の大銀杏の近くにある諏訪神社にはビャクシンの古木があります。同社は、法然誕生のころ、当地に住む諏訪一族の末裔である出雲井氏の先祖が、信州の諏訪神社の神を勧請して建てたそうです。
 少年時代の法然は勢至菩薩にちなむ名前からもうかがえる聡明で利発な少年でした。「法然上人絵伝」には、勢至丸が元気に遊びまわっている姿が描かれています。法然の父漆間時国は稲岡荘を司る役人・押領使で、母は秦氏と伝えられ、美作には秦氏の史跡がたくさんあります。
 誕生寺の北方一〇キロのところに、秦氏ゆかりの錦織神社があります。錦織は秦氏が多く住んでいた地で、明治初めの神仏分離令までは地元の二上山両山寺と一体でした。二上山両山寺は、白山権現の開祖として知られる秦氏の僧・泰澄が、霊夢に導かれてこの地を訪れ開山したとされ、今は真言宗ですが、昔は天台と真言を共に修する道場でした。法然の母は秦氏の長者の娘だったとされていますので、錦織あたりが出身地かもしれません。
 誕生寺から一〇キロほど南の山中に、美作を代表する名刹・本山寺があります。津山藩代々の藩主の廟があり、立派な伽藍が現存しています。本山寺という寺号は鑑真和上に付けられたとの言い伝えもあり、天台密教の山岳道場として地域の人々の信仰を集めてきました。寺伝によると、天永元年(一一一〇)に現在地に移され、長承元年(一一三四)に法然の両親が安産祈願のために参籠したそうで、両親の信仰深さがうかがえるエピソードです。また本山寺の近くには斉明天皇により勧請された波多神社があります。元は畑三社権現と言われたそうで、波多も畑も秦氏とかかわりのある名前です。
 このように法然誕生地の稲岡荘やその周辺には、法然と秦氏の関わりを知ることのできる遺跡や事跡が数多く存在しています。
(2018年12月10日付746号掲載)