オランダで考えたキリスト教との距離感
キリスト教で読み解くヨーロッパ史(4)
宗教研究家 橋本雄
根拠は紅海の奇跡
オランダ国内を車で走ると、時々不思議な感覚になる。理由は、まずどこまで行っても地面が「平らなこと」、そして車に付いている海抜計を見ると五メートル、時として八メートルも「海面より低いところを走っている」のに気がつく。池や水路が道路より上にあるのは普通だが、改めて海抜計を見ると驚いてしまう。
「地震はないのか」「津波の危険は?」と尋ねると、「地震はないので津波の危険もない」という答えがすぐ返ってくる。それでも低地や沼地の開発は大変だっただろう。アジアでも「治水」が「政治」だったことを考えると、実に巧みに自然を管理したものである。
その精神的根拠を尋ねると「モーセの紅海の奇跡」という答えが返ってきた。四百年のエジプト苦役から解放され、モーセに率いられて紅海に達したイスラエルの民は、エジプトの軍勢に追い迫られてしまう。その時、神の「紅海を分ける奇跡」によりイスラエルは紅海を渡って救われ、エジプトの軍勢は海に飲み込まれたという旧約聖書の話である。すなわち、神がモーセを通して「水をコントロールした」ことが、オランダ人の精神的力となったというのである。ノアの洪水伝説でも審判の手段は「水」で、水をコントロールして国をつくるという願いが旧約聖書の話と重なったのであろう。オランダは街々も良く整備され、自然も巧みに管理され実に美しい。
カーテンがないのは
オランダの家々にはカーテンがあまりない。夕方、アムステルダムの街中や郊外を車で走ると、電気の点いた部屋の多くが外から丸見えである。なぜそうなのかと聞くと「プロテスタントの影響」だという。布が高価だった過去の名残、大航海時代の船員生活や国土の狭さが人々を開けっぴろげにしたなど諸説あるが、清貧を尊ぶプロテスタント・カルビン主義の影響で、人々は「私の家は贅沢していませんよ」と家の中を見せるのだという。
オランダのあるネーデルランド地方は毛織物産業で十六世紀に大いに栄え、周辺地域との交易で発展した。清貧生活で資本が蓄積され、経済が発展し、交易を通じて自由な精神も培われたのであろう。ネーデルランド地方は一五六八年から一六四八年までの八十年戦争で、異端審問で宗教迫害をするカトリックのスペインから独立し、プロテスタントの国として確立した。
オランダと日本
独立したオランダは十七世紀に空前の発展を遂げ「黄金時代」を迎えた。国際貿易でポルトガルを追い抜き、当時の最高技術が集約する、世界でも最も裕福で発展した国となり、ヨーロッパの芸術、学問などが集中した。
オランダ船が日本に漂着したのは関ヶ原の戦いのあった一六〇〇年四月のことである。現在の東京・八重洲の元となったヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインや三浦按針と名乗るウィリアム・アダムスが乗っていた。そして、オランダを通して膨大な知識と文物が日本にもたらされた。
その後、カトリック教徒の反乱とも言える島原の乱(一六三七年)の後、幕府は鎖国とキリスト教禁教を厳しくし、スペイン・ポルトガルを排斥して、宣教には余り関心がなく貿易だけを求めるプロテスタントのオランダを、唯一の貿易相手国として出島での交易を認めた。江戸時代、西洋からの文化、学術、医療、経済、世界情勢などの情報はオランダから日本に入ってきた。西洋の学問が「蘭学」と言われる所以である。
一八二三年にはシーボルトが来日し、西洋の先端知識と技術を日本にもたらした。シーボルトは日本研究にも注力し、多くの日本の文物をオランダに送った。シーボルトの日本研究は合理的で多分野に及び、医師としての科学者精神が見られる。
画家たちの自由な精神
当時のオランダ・カルビン主義は教会に宗教画を飾ることを禁じたので、宗教画は売れなくなり、画家は有力な注文主を失った。その代わりになったのが裕福な商人や貿易商などの有力市民である。
オランダでは豊かになった市民層が、王族や貴族、教会のものであった絵画を市民絵画、風俗画として発展させていく。その代表がオランダ南部デルフトのヨハネス・フェルメールやレンブラントである。これら十七世紀のオランダ画家は、それ以前はあまり見向きもされなかった市民生活や普段の生活の一面や有力者の肖像画を描いた。十七世紀だけで百三十万枚を超える絵画が描かれたという。
フェルメールの絵には世界地図や日本の着物が何気なく描かれていて、世界に発展していたオランダの様子が分かる。また、当時の市民社会の息遣いや、何より「事物をそのまま見よう」とする自由な精神を感じる。その精神で絵画に様々な技法が用いられ、謎めいたものが多く隠されるようになる。その「謎解き」もフェルメールの絵の魅力で、多くの人々を魅了してやまない理由である。信仰や教会が社会生活で最も大切なものであった時代が過ぎ去ろうとしていた。
市民社会の自由な雰囲気と経済的豊かさが、人々を「非宗教化・世俗化」していった。現在のオランダの人々はとても親切で、明るく、自由で合理的だが、信仰心は希薄である。事実、国民の60%以上が無宗教と言われ、日曜礼拝の参加者も少なくなっているようだ。
宗教がなくても、豊かで寛容で自由な社会を形成したオランダは、努力の拠り所を、先祖たちのように、聖書の「紅海の奇跡」に求めたりはしない。
ヨーロッパの歴史の一面はキリスト教との距離感で、宗教改革以降の歴史は、人々が宗教や信仰から乖離する方向に進んだ。そして、無神論が歴史の大きなうねりとなってヨーロッパを襲うこととなる。
(2018年12月10日付746号)