イスラム教はどんな宗教か
カイロで考えたイスラム(2)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉
イスラム教の誕生とその教えの概要、イスラム教徒の基本的な考え方と行動など、イスラム教について概観してみよう。参考文献にしたのは岡倉徹志著『イスラム 信仰・歴史・原理主義』、青柳かおる著『面白いほどよくわかるイスラーム』、渥美堅持著『イスラーム基礎講座』、井筒俊彦著『イスラーム思想史』、本田實信著『イスラム世界の発展』など。
イスラム教は五七〇年頃、アラビア半島中西部のメッカ(イスラム教の聖地になっている)に生まれ、六三二年に没した預言者ムハンマドによって創設された宗教だ。預言者とは神の言葉を預かる人を意味し、ムハンマドは、神から直接ではないが、天使ガブリエルを通じ、神からの言葉を受けたとされる。
どうして当時の人々が、ムハンマドの言葉を神の言葉として信じ得たのか? それには大きく二つの理由があったとされる。
第一は、啓示を受けた当時のムハンマドは、アラビア語の読み書きさえ出来ない無教養な人で、啓示で示される威厳ある言葉を使えるはずはなかったのに、それを語ったのは、啓示以外に考えられなかった、ということ。
第二は、啓示の文体が、とても人間業とは思えない、韻を踏んだ見事なもので、しかも音調の美しい、奇跡としか言いようのない文体だったことにある。神からの助けなくして、あれだけの美文を作ることは不可能と思えるほど見事な文体だったわけだ。
ムハンマドは、当時の当地方の名門、クライシュ族に属するハーシム家に生まれたが、父親のアブダッラーは、ムハンマドが生まれる六カ月前に没し、また母親アーミナも、ムハンマドが六歳の頃に病で死んでいたので、彼は幼くして孤児になっていた。
ムハンマドは最初、ハーシム家の家長で、当時八十歳近くになっていた祖父のアブドゥル・ムッタリブに引き取られたが、祖父はムハンマドが八歳の時に死亡、死後は叔父(亡き父の弟)のアブー・ターリブに育てられた。アブー・ターリブは貧しかったことから、ムハンマドに読み書きすら学ばせられなかったので、ムハンマドは実質、字が読めなかった。
でもこのことが、神からの啓示を証明することに大きく貢献したのだから、不思議なものである。
ムハンマドは十二歳ぐらいまでの少年時代、叔父の下で羊の放牧の仕事などを習い、その後は、隊商に加わってシリア方面に出掛けるなどして、シャーム地方との商売をする青年時代を過ごしたようだ。
有能な商人としてのムハンマドを高く評価したのがムハンマドの雇い主、ハディージャという裕福な女性で、ムハンマドは四十歳の彼女に見込まれ、二十五歳の時に結婚した。
無学なムハンマドにとって、才能豊かで裕福なハディージャは年齢が上とはいえ魅力的で、ハディージャにしてみれば、公正にして誠実、有能な若いムハンマドは、年下ながらも頼りがいのある人物として信頼したようだ。
ハディージャとの結婚によって、ムハンマドは経済的に安定し、その後の二十五年間の結婚生活で四人の子供をもうけ、幸福な生活を送ったようだ。もっとも、三人の男の子は皆夭逝し、女の子のファーティマだけがムハンマドの死後も生きていた。
家庭生活は平穏だったものの、一説には、ムハンマドは既存の大商人たちから締め出されていた。また、当時のアラブ世界に蔓延する腐敗、道徳の荒廃、婦女子に対する非人間的習慣などを原因とした部族間の対立闘争や部族内の争い、定着民と遊牧民との戦いなどに危機感を抱き、四十歳の時、メッカ郊外のヌール山頂にある「ヒッラーの洞窟」にこもって瞑想するようになったとされる。
ムハンマドに啓示が下りる前の、まだイスラームを知らない時代を「ジャヒリーヤ(無明時代、無道時代ともいう)」というが、この時代は、宗教は多神教で宿命論が幅を利かせ、復讐の応酬による争いが絶えない時代とされる。「目には目を! 歯には歯を!」の時代である。死後の世界はないと考えられたことから、現世を享楽的に過ごす刹那主義が蔓延し、部族伝来の規律の他は律するものがなく、各種、各段階での対立抗争が激しかったと見られている。
ムハンマドへの啓示は、こういう時代を大転換させる可能性を内包するもので、結果的には人々の信仰を多神教から一神教に、現世主義を来世主義に転換させることになる。共同体は、血縁や部族による一体化から、信仰による一体化へと転換していくのである。
ムハンマド四十歳の六一〇年、ヒッラーの洞窟にこもって祈っていた時に、突然、天使ガブリエルから「(声を出して)読め」との声があり、ムハンマドが「私は読めません!」と答えると、再度「読め!」との命令があり、ムハンマドが再び「読めません!」と言うと、ガブリエルが次の章句を唱え始めた、という。
読め(声に出して唱えよ!の意)と命令されたムハンマドは、ガブリエルが語ったように復唱したとされ、この時からムハンマドは預言者になった。
ただ、ムハンマドは、自分がジン(妖精・幽鬼)に取り憑かれたのではないかと考え、家に帰って毛布をかぶっておびえていたとの話もある。しかしそれを、「神からの啓示」だと気付き、受け入れ、励ましたのが妻のハディージャで、彼女がムハンマドの最初の信者になったと言われている。もしハディージャがムハンマドを疑ったならば、イスラム教は生まれなかったかもしれず、彼女の貢献は実に偉大だったということになる。
神はその後、天使ガブリエルを通してムハンマドに啓示を与え続け、最初の啓示から三年後の六一三年には布教を命じるようになり、彼はメッカ近郊のサファの丘に行き、そこでイスラムへの道を説き始めたとされる。
イスラムは「自身の重要な所有物を他者の手に引き渡す」という意味の動詞「アスラマ」の名詞形で、神への絶対服従を表す。ムハンマド以前には人と人との取引関係を示す言葉だったのを、ムハンマドが唯一神であるアッラーフに対して自己の全てを引き渡して絶対的に帰依し服従するという姿勢に用い、そうなった人をムスリムと呼んだ。
ハディージャに次いで信徒となったのは、叔父アブー・ターリブの息子で、ムハンマドにとっては従弟のアリー(後の第四代カリフ)、解放奴隷で養子のザイド、親友のアブー・バクル(後の初代カリフ)など身内や親友たち。アブー・バクルを通じてウスマーン(後の第三代カリフ)、ズハイル、タルハなどが加わった。なお、最初イスラムを弾圧していたが、信徒となった妹の読むコーランの一節を聞いて改宗したとされる有力者ウマル(後の第二代カリフ)は、イスラムの布教に大きな力になった。
(2018年3月5日付732号)