雄嶽日枝神社

2021年6月10日付 776号

 カトリック教会を訪ねる長崎県新上五島町の旅で、最澄の足跡に出合った。標高439メートルの山王山(古称は御嶽)の頂上に鎮座する雄嶽日枝神社は古くは「山王宮」と呼ばれ、祭神は大己貴神(おおなむちのかみ)。
 804年に第16次遣唐使船で入唐した最澄が、帰国後の814年と819年の2回にわたり、福岡の太宰府竈門山寺に入唐成就のお礼詣りをした際、五島にも足を延ばし、この山王山に登って、比叡山延暦寺の守護神「山王権現」を祭祀したという。雄嶽日枝神社と称号が改められたのは明治4年のこと。
 最澄によって山王権現が勧請されると、山頂に三ノ宮、8合目近くに二ノ宮、2合目近くに一ノ宮が祀られるようになる。一ノ宮には古い鳥居があり、岩陰に石祠が祀られている。二ノ宮には岩窟があり、かつては水を湛えていたが、その水が枯渇した際に報賽鏡17枚(平安後期・室町・鎌倉・江戸初期の船載鏡2枚と和鏡15枚)が発見された。
 山頂の山王宮は古くから航海時の標識としての役割を果たし、遣唐使が五島列島を寄港地とした際には航海の安全を当山に祈念したと伝えられる。
 ちなみに同じ遣唐使船で唐に渡った空海を顕彰する石碑「辞本涯」(本涯を辞す=日本の最果てを去る)は、唐使船団の最終寄港地とされる五島市三井楽町柏崎の海辺に建立されている。空海入唐の道を探るなか、刻字を揮毫したのは当時、高野山大学教授だった静慈圓・高野山清涼院住職。次回、訪ねてみたい。