ジハード(聖戦)の意味

連載・カイロで考えたイスラム(33)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 イスラム信仰の重要な概念の1つが「ジハード(聖戦)」である。イスラム教徒が日常生活の中心におく「六信五行」には入っていないが、内外の危機に際しイスラム教徒として行う“義務”として神から示され、願われたこととされるので、その重要さは格別だ。
 コーラン第22章「巡礼の章」の78節に、「アッラーの道の為に、限りを尽くし、奮闘努力しなさい」との言葉があることから、聖戦(ジハード)は「神の命令が完遂できないような環境が作られないように奮闘努力せよ」との意味だとされている。
 一般に、聖戦が適用される範囲は2つに分けられる。1つは、イスラム世界に発生する破壊的環境・圧力で、イスラム教徒個々人の心の中に生まれる堕落や怠慢、腐敗との精神的な戦いで、「大ジハード」と呼ばれる。
 もう1つは、イスラム世界に対する外からの破壊的環境・圧力で、不当な干渉、軍事的圧力が加わり、イスラム世界崩壊の危機が迫った時に、イスラム世界を守るために起こす闘争で、「小ジハード」と呼ばれる。危機に対して起こす聖戦(奮闘努力)は、イスラム教徒に対する神からの最も重要な命令への応答で、戦いへの参加はイスラム教徒の神聖な「義務」となる。
 大ジハードは、個々人の心の中に生じる、悪い心との戦いであるから、善に生きようとする心を強くし、悪の心を押し込めるという、実に素晴らしい戦いといえよう。悪の心をコントロールする努力をし、人間としての人格を高めるための戦いを奨励するのは大きな長所である。
 小ジハードは、それが防衛的である限り、暴力行為であっても正当とされる可能性はある。大切な家族や共同体を敵から守るための行動なら正当化されよう。
 大ジハードに短所はないが、小ジハードの場合、暴力行為を含むだけに、守るべきものが何かによって短所にもなる可能性がある。イスラム教は神を唯一絶対とし、コーランは神の啓示である故に絶対であるとする。コーランの言葉一つひとつが絶対であり、変更すべきではないとして、その章句そのものを絶対視するので、それを否定したり、批判したりすることを禁じ、そうする人々を神の敵とみなし、聖戦をよびかけることがよくある。
 ISは、ヤジディ教徒への攻撃、性奴隷化を聖戦とし、大量殺戮などを正当化した。イラクのサダム・フセイン元大統領もアメリカに対する聖戦を呼びかけた。初期のカリフたちも、イスラム世界拡大を聖戦とし、シリア地方や北アフリカなどを瞬く間にイスラム化した。
 問題は、自分たちだけを正しいとし、その宗教を全世界に拡大しようとする聖戦思想だろう。独善は排他を生み、闘争を惹起して、戦争への道を開いていく。ジハードの概念が、独善・排他に利用されると、大いなる短所となる恐れがある。独善に陥っていないか常に顧み、他の宗教や思想にも門戸を開き、共存共栄を探る姿勢をとることが、現代社会の基本原則だ。信教の自由を侵しうる聖戦思想は極めて要注意となる。イスラム指導者によるイスラム教徒への「正しい聖戦教育」が急務である。
 イスラム教がキリスト教などの他宗教と著しく違う点の一つは、一夫多妻制を認めていることだ。ムハンマドの時代、戦争で男性が多数死亡し、寡婦や独身女性が多くなったために、一夫多妻が奨励されたのが始まりで、あくまでも女性の救済が目的だった。しかし、それは当初の事情で、その後、一夫多妻は趣旨を外れ、男性の身勝手な欲望を満たすための手段と化しているのが現状であろう。
 イスラム過激派組織「アルカイダ」の指導者だったビンラディンは、「どうして西側の人は一夫多妻にしないのか?」と問いかけ、「一夫多妻にすれば、いつでも春のような気持ちを味わえるのに」と語った。これほど、女性の気持ちを傷つける言葉があるだろうか? 女性の人権など考えていないのである。
 人は愛する人に対して、「私は永遠にあなただけを愛します」と誓うように、愛の性質は「永遠・絶対・唯一」である。この愛の性質から、一夫一婦制は当然といえるだろう。それらを破る一夫多妻には、積極的な意味での長所はありえないが、いたし方のない場合に、次善の策として一夫多妻が一定の評価を受けることはあり得る。
 大学の同級生だった男性と結婚したものの、外国での生活を夢見る彼について行けず、離婚した女性が、妻が死亡した子持ちの男性と再婚した。ところが、先妻の子と夫ともうまくいかなくなり再度、離婚した女性に一夫多妻制の是非を問うたところ、彼女は即座に、「当然あるべきだ」と答えた。
 理由は、2番目でも3番目の妻でも、結婚して子供を産み、安定した生活ができればいいから。アラブ・イスラム世界では、結婚できない女性は、数番目の妻よりも見下されるのが実情だ。彼女は邦人系団体の職員で、お金には困らないが、結婚できないことが悩みの種。仕事もない女性にとって、その惨めさはなおさらだ。その意味で、裕福な男性の2番目、3番目、4番目の妻となり、子供を授かることは、女性にとって救いとなるのだろう。彼女は当初、一夫一婦制が当然としていただけに、理想を引き下げたことにはなるが、次善の幸福を手にしようとするのを否定することは出来ない。
 一夫多妻制の短所は、理想的な夫婦愛が育たないことである。愛を中心とした理想的な家庭を築くことができない。チョウのように複数の花を追いかける男性は欲望を満たすことになるが、女性にとっては、一番愛されているうちは満足しても、夫の愛情が別の女性に移るにつれ、寂しさや空しさが増し、希望のない状況に追いやられるのは必至だ。
 複雑な愛情関係の中で育つ子供たちへの影響も大きい。情緒不安定になり、人生に対する考え方が異常な方向に向かう可能性もある。愛情のもつれが原因で殺人事件が多発しているのも現実だ。
 ムスリム同胞団は一夫多妻を奨励している。一部の不幸な女性を救うことになっても、女性の悲劇の拡大を招く恐れも大きく、一夫多妻のもたらす弊害を、特に女性の人権の観点から、イスラム世界は見直さなければならない。
(2020年12月10日付 770号)