『枯木灘』中上健次(1946〜92年)

文学でたどる日本の近現代(14)
在米文芸評論家 伊藤武司

紀州の「路地」が舞台
 戦後生まれで初の芥川賞作家となった中上健次の受賞作は『岬』であった。『十九歳の地図』での鮮烈なデビューから3度も候補に選ばれたことが、なによりも優れた資質を証明している。その後『枯木灘』『地の果て 至上の時』までの三部作を上梓し独自のジャンルを開拓した。中でも1976年に雑誌に連載された『枯木灘』は中上の代表作となった。
 畿内の中心部から隔離された感の遠地・紀伊半島南部に点在する被差別部落が、小説に登場する人びとの場である。その地域を中上は「路地」と呼んだ。
 表題の枯木灘は、紀伊半島の東岸から南端へ連なる海岸線一帯。背後の山稜に川が流れ、前面には太平洋が広がっている。海岸の木々は強風のため枯れ木のようで、畑作もままならない狭隘な空間が創作の舞台となった。
 明治時代に島崎藤村が部落民を題材にした『破戒』を出して以来、長い空白を経て、本格的な同種の小説の出現となった。26歳の強靭なエネルギーを投入した本作は、掲載時から注目を集めた。
 作家自身が、和歌山県新宮市の被差別部落の出身であり、その意義は重要である。作者の視線は、重いイメージの土地と人びとに暖かいまなざしを注いでいる。かえりみられることの少ない下層の人びとと生活を、白日の下にさらけだしたのである。
 作品は荒々しい感情の起伏が特徴で、強力な光線が閉鎖的な土地に乱舞するような生のエネルギーを感じさせる。本作をひときわ刺激的で魅力的にしているのは、中断されることのない緊張感の連続性にある。中上作品の強みは、自己の出生を全面に押し立てたことに求められるだろう。
 主人公の竹原秋幸は朝、目覚めると母親の準備した朝食を手早く済ませ、一日の準備にとりかかる。地下足袋をはいて身なりを整え、一緒に働く人夫たちのつるはしやシャベルなど仕事道具をトラックの荷台に積む。彼はつるはしやシャベルが好きであった。土方請負業を営む養父竹原繁蔵は、別の家に住んでいる長男・文昭に事業を譲っていた。秋幸は、義兄の経営する竹原組で人夫頭として働いているのだ。
 仕事では秋幸は文昭より信頼されて、現場の人夫をたばねている。竹原家は、秋幸と母親フサと夫の繁蔵、そして繁蔵の弟文造夫婦が離婚したため養子として引きとった5歳の洋一を合わせての4人暮らしである。
 やってきた義理のいとこの徹を乗せるとトラックを発車させ、街道筋の舗装工事の現場へ向かう。秋幸と徹は子供の時から遊び仲間であった。
 現場に到着すると、マイクロバスの運転手の藤崎が人夫たちとやってきて雑談になり、そのうち仕事の分担が決まる。昼休みには、洋一と渓流でアユを浅瀬に追い、遊ばせる心優しい青年が秋幸である。
 女性を交えた土方仲間は、子供には聞かせられない話に及んだり、酒が入ると喧嘩ざたにもなる荒々しさがある。何らかの血のつながりをもつ彼らの間に、街の人間は容易には入れない。
 紀伊の小説家といえば有吉佐和子がいるが、同じ紀伊物の作品を手がけても、両者の作風や立脚点は全く異なっている。有吉の『紀ノ川』『有田川』『助左衛門四代記』などには先祖からの土地や血族に対する親しみや情感が素直ににじみでている。しかし中上作品は、たぎり立つ反抗の血潮、バイタリティーあふれる肉感的空間が土壌と密接につながり、読者をグイグイと小説の本筋へと引き込んでゆく。
 『枯木灘』の読みづらさは不均衡な表現形式にあるといわれている。しかしそれが一部の評者には魅力になっている。路地で暮らす粗けずりな人びとの日常を、ダイナミックな筆づかいで活写する。
 読者は、秋幸をとりまく血族・親族間の構図の、尋常とは思えないすさまじさに困惑してしまうに相違ない。一回読んだだけでは、入り組んだ血族関係を把握するのは難しい。中上の血縁関係が実にこみいり、作品に重ねている箇所も多い。
 竹原家の家主は繁蔵で、夫と死に別れたフサの再婚相手であり、秋幸には養父に当たる。フサは、紀伊半島南端の潮岬に生まれこの地に移り住んだ。秋幸の実の父は、小説『岬』で「あの男」と一人称で呼ばれていた浜村龍造で、異なる家系間の確執や葛藤などが織り込まれたストーリーである。
 秋幸の言動に終始影のようにまとわりつくが、実父・龍造は、巨大な存在として秋幸に大きな影響を与えていた。腹違いの姉・美恵の過去の出来事から物語の一端を見てみよう。
 美恵は17の時フサに黙って家出をした。飯場に住み男と同棲していた美恵を郁夫が家へ連れもどすと、妊娠していることがわかった。気性の激しいフサは、娘の髪をつかみ畳にこすりつけながら、「このバチアタリは」「父さんがどうしてもこの子を生かしたいと山も田んぼもおまえのために売ったんやのに。おまえが、おまえが」「こんなくそくろた男に」「母さんをも、父さんをも裏切ったんやな」と体を震わせながら絶句した。その美恵の産んだ子が美智子である。16になった美智子は、母親の美恵と同じような生き方をし、大きな腹をかかえて、見知らぬ19の青年と大阪から路地へ帰ってきた。
 竹原繁蔵と仁一郎の兄弟にはユキという姉がいる。秋幸には叔母であるが、秋幸とフサはユキがどうしても好きになれない。また竹原兄弟は姉のユキに頭があがらないのだ。理由は、彼らが子供のころ父親が亡くなって、家族6人を養うため、ユキは自ら遊女屋に身をおいたからである。ユキは、ふらりと秋幸親子の前に現われては噂話を饒舌に語り、秋幸親子が竹原家の身内でないことを、これみよがしにしゃべるのであった。

自然による魂の救い
 血と土に拘束されながらも、自然と溶けあう場面に魂の救済や浄化を感じる。海岸から崖が切り立つ土地で、秋幸は土方の仕事に集中する。汗をながし、清浄な空気に身をおくのが彼は好きであった。裸になった上半身の、「皮膚が山に生えた樹木の葉のように光を受けて焼けていくのがわかった。…汗が眼に入り、痛かった。…秋幸はまた自分の体が、光を受けた山や川の景色に染まり始めていると感じた。それが快かった。安心できた」「変哲もない草は明るい緑に光っていた。風が吹いた。秋幸はいきなり吹く風に喘ぎ、大きく息をした。血と血が重なり枝葉をのばしたまま絡まりあう秋幸は、吹く風には一本の草、一本の木葉と同じなのだった」。母親と子供たちとの会話や、仲間たちと海辺で遊ぶシーンなども重い『枯木灘』のストーリーの中で一場の安息となる。
 26になった秋幸は、土地と血のつながりに依存するのではなく、鬱積した重苦しい閉塞感からの脱却を思いめぐらす。しかし暗い血筋の重圧には歯が立たない。小説は、自壊の轍から脱け出せない主人公の苦悩を、数々の場面で蘇らせる。
 彼は生まれ育った路地で、せいいっぱい生きる望みをもち、地と血に縛られながらも、純粋な意識で生きようとしていた。しかし、次第に心境に変化が生まれる。出生への反発から養父の竹原姓や実父の浜村姓を嫌い、フサの私生児として生まれたことをも嫌悪し、母への感情がふと折れ曲がってしまうほどであった。フサは本当に養父の繁蔵と所帯をもったのか。ただ、男が欲しかったからではなかったのかとふと疑惑の念がわく。
 秋幸が6歳の時である。14離れた種違いの兄・郁男が自殺した。記憶をたどると、泥酔で荒れた姿しか思い出せない。その時はなぜ自殺したのかわからなかったが、今では首をくくった兄の気持ちを誰よりもわかる青年になっていた。「われらァ、ブチ殺したるから」と畳に包丁をつきたてて叫んでいた郁男には、呪われた血への憤りがうず巻いていた。そしてつい最近、嫌悪し反発してきた「その男」の夢を見たが、夢の中では子供の秋幸が泣いているのである。
 主人公の過去の追想や進行中の出来事が目まぐるしく行き来し、小説は、龍造の先祖・浜村家の遠い血筋の由来にまでさかのぼる。秋幸の憎悪と怨念の矛先は、自己の前に立ちふさがる龍造、3人の女に子供を孕ませ、悪逆非道な噂の絶えない実の親にむけられてゆく。姉の美恵は、そうした龍造を「蝿の王」と揶揄するが、秋幸にとっては深刻そのものであった。龍造は、フサ親子を捨てて他の女をかこう非情な男なのである。
 刑務所を出た龍造は、やがて秋幸親子の住む路地に戻ると製材業を営むようになった。秋幸は、龍造がどこからか彼を凝視するのを意識するようになる。刺青を彫り、悪い挙動と噂のつきまとう男が実父である。秋幸も屈強な体躯の持ち主であったが、それ以上に骨太の実父が、秋幸の前に屹立していた。女と同棲し商いを広げた実父が、圧倒的な存在感で迫ってくるのを否定できない。秋幸は、確かなアイデンティティーを得ようと渇望するが、己の血を呪うのが精一杯であった。
 ある時、憤激が破裂した秋幸はチンピラたちといざこざをおこす。そしてもう一つの事件、美智子と結婚の約束をしていた五郎と、秋幸とは‘腹違いの弟・秀雄が喧嘩をし、負傷した五郎は病院にかつぎこまれる。この段階で、こらえつづけていた秋幸の心は定まり、鬱屈の思いを清算するため父との正面対決を決断する。
 この小説の読みどころは、喪失した親子関係の確執と緊張、愛憎劇にある。血筋と土地につながりをもつ路地の人間たちも、それぞれが影のある人生を背負っているのだった。
 小説『枯木灘』は、自壊の轍から脱け出せない主人公の苦悩を数々の場面で再現する。複雑にからみあう血と性、その渦中から彼が抜け出すことは無理で、やがて追いつめられ、自己破壊の悲劇が待ち受けていた。いよいよ長編のクライマックスが迫ってくる。
 夏祭りの夕べである。路地の住民にまじり、秋幸と異母弟の秀雄や龍造が川べりに集まってきた時、事故がおきた。偶発的に兄弟は衝突し、秋幸ははずみで秀雄を石で打ち殺してしまう。それは事故に近いものだったが、秋幸は車で逃走し、逮捕され、父親のように刑務所に収監される。
 第三巻の最終編『地の果て 至上の時』では、秋幸は3年の刑期を終え、再び路地へ戻ってくる。ところが路地は土地開発ブームで消滅しつつあった。再会した龍造は縊死。暗い血の束縛からようやくのこと解き放たれた秋幸は、更地になった草原に火を放っていずこにか消えてゆく。
 中上健次は、あり余る才能と好奇心で多忙な生涯を送った。豊富な人脈による対談や座談も多く、アジア諸国への取材旅行などもこなし、特に韓国文化・芸術へ強い関心を示した。ニューヨークに滞在したり、ロサンゼルスやヨーロッパへ毎年のように出かけ、国際的に活躍した。郷土愛も強く、文化振興の一環として「熊野大学」を立ち上げている。彼の情熱はとどまることを知らなかったが、滞在先のハワイで病魔に襲われ、46歳で帰らぬ人となった。