ラマダーン・カリーム

カイロで考えたイスラム(28)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉

 五行のラマダーンについてもう少し掘り下げてみよう。これが単なる断食の苦しみの期間とならないよう、政府もイスラム指導者も大いなる楽しみを準備している。それが断食明けの夕食やテレビ番組などの娯楽だ。日本でいえば、お正月番組を見ながら家族が一緒におせち料理を楽しむように、イスラム教徒はこの期間、いつもより数倍楽しく盛り上がる。この期間の合言葉は「ラマダーン・カリーム」で、「ラマダーン期間は気前よくしましょう!」という意味。
 ラマダーン・カリームの精神の下、親族が相互に訪問する習慣があり、イスラム教徒たちは「盆と正月が一緒に来たような」親族との交流をたのしむ。この期間、筆者も友人の家に招かれることが多く、家族の一員のように自宅に招いてくれるのだ。
 だからある友人は、「ラマダーンが終わるのが残念だ。ラマダーンがいつまでも続いてほしい」と語っていた。私は当初、ラマダーンはつらい期間だと思っていたので、それを聞いてびっくりし、認識を改めた。
 イスラム教徒に多くの恵みをもたらすラマダーンだが、敢えてその短所を言うなら、生活が不規則になり、健康上の問題が噴出することだ。空腹のため日没後に大量に食べてしまい、また翌朝から断食しなければならないので、その分もと、夜明け前にまた大量に食べてしまう。食事時間が不規則になり、食べ過ぎが続くことから、体調を崩す人が増える。ことに女性は、午後から夕方にかけて、さらに夜中から明け方にかけて料理を作り、家族と共に食べると、後片づけをし、次の食材を準備するなど、完全に生活時間帯が狂ってしまうのだ。
 アラブ圏の常として、男性は一切家事には携わらないことから、多くの女性が悲鳴を上げている。仕事を持つ女性にはさらに大変で、会社で仕事をしながら、不規則な生活を30日間も続けなければならない。女性にとってはかなりの負担で、ラマダーンが始まって11日目に会ったある女性は、「早くラマダーン期間が終わって欲しい」と、涙を流さんばかりに訴えていた。これも実態だろう。
 それに引き替え男性や子供にはラマダーンは天国だ。昼の断食は身にしみるが、午後、勤務先を早退して帰宅後は、昼寝をし、日没後に起きて、妻が作った断食明け用のご馳走を食べ、テレビで特別番組を楽しみ、来客を迎えては談笑する。朝方はまた腹いっぱい食事をし、その後また寝て、午前10時から11時に出勤するという具合だ。
 官公庁や会社の被害も甚大で、実質、仕事が手につかないひと月となる。午前10時から11時に出勤すると、簡単な仕事をして、断食明けに間に合わせようと、午後1時から2時には退社する。ラマダーン期間にこなす仕事量はわずかだが、彼らはそんなもんだと思っている。外資系会社には実に中途半端なひと月で、いい迷惑である。経済上の停滞や損失は免れないが、仕事以上に信仰を優先する社会ではいかんともしがたい。
 ラマダーンが明けると4日間の祝日があり、ひと月の昼の苦しさを癒やし、生活を正常に戻す期間ともなっている。
 次に聖地巡礼について。巡礼は、632年のムハンマドの別離の巡礼のスタイルを踏襲して行われることから、当時のムハンマドの信仰や神への姿勢を偲び、同じ路程を通過することにより、その精神を受け継ぎ、また、神への許しを請い、ミナーで犠牲を屠り、犠牲祭を行うことが目的である。
 アブラハムが愛息イサク(イスラム教ではイシマイル)を犠牲に捧げようとした神への絶対信仰の姿勢を追体験することにより、真のイスラム教徒になることを目指すものであろう。イスラム教の創始者と同じ道を辿り、追体験することは、創始者の精神を受け継ぐ最良の方法であることから、巡礼はイスラム教徒の信仰心を高める上で、この上なく良い機会であり、最大の長所と評価出来よう。
 敢えて短所を挙げれば、交通手段の発達した現代では、200万人以上の巡礼者が殺到することから、事故が度々発生し、多くの死者を出していることだ。鍵はサウジアラビア当局の対応にあるのだが、イスラム教徒は「巡礼中に死亡した者は、ただちに天国に上げられる」と信じているので、政府を相手に訴訟を起こすことも、敵対的なイランを除いては余りない。そのため事故が相次ぐ悪循環に陥っているようだ。そのような信仰を深刻に問い直し、時代や社会に合わせて改める必要がありそうだ。
(2020年7月10日付765号)