アフリカに来てよかった…けれど…
シュヴァイツアーの気づきと実践(13)
帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫
シュヴァイツァー夫妻はドイツ人である。当時、フランスの植民地であったガボン共和国へ行くには、フランス宣教協会の許可を得なければならなかった。ところが、宣教協会はシュヴァイツァーの神学思想が過激だとして、許可しなかった。そのとき奔走してくれたのが、彼のオルガンの師、ヴィドール先生だった。先生の忠告もあり、シュヴァイツァーは、医療伝道に専念し、キリスト教についての話は一切しないとの一筆を入れた。その結果、ようやく許可が出たのである。
アフリカ現地での診療は困難を極めた。診療所は用意されてない。頼んでおいた通訳も来ていない。患者は列をなして診察を待っている。野外での診療は、毎日スコールで中断された。そのたびに鶏小屋を用いていたが、ついに、鶏小屋に手を加え、それを診察室にせざるを得なかった。改造は、数人の現地人を使って、シュヴァイツァー自らが関った。
患者はいろいろな病気を抱えていた。当時ライといわれていたハンセン氏病、さまざまな胃腸病、ヨーロッパでは見られないような皮膚病、心臓病、ハシカ、肺炎,頭痛、けが人などなど。とにかく困ったのは、通訳がいないことだ。病状は容態を見れば、ある程度はわかる。あとは、身振り手振りでの意志の疎通だ。だから、診察には時間がかかった。薬の飲み方を教えるのも大変だった。3日分を小分けして渡しても、いっぺんに飲めばもっと効くだろうと、3日分を1度に飲んでしまう患者もいたのだ。しかも彼らは、汚水で薬を飲んでしまう。それも汚れた手で水をすくうのだ。これではかえって危険になる。シュヴァイツァー夫妻がその危険な行為に気づいたのは、しばらくたってからのことだった。
看護師として働く妻のヘレーネは考えた。「やむを得ない。手間はかかるが、患者が理解するまでは、私が直接世話をしよう」。薬はいっぺんには渡せない。彼女は、1回分の薬を患者の口に入れ、きれいな水でのませるようにしたのだ。このようにして何十人もの患者に薬を飲ませるのは、並大抵のことではなかった。
1か月後、ようやく頼んでいた通訳ヨーゼフがやってきた。彼は以前、フランス人の家庭で料理人として働いていた。日常的なフランス会話はできた。しかし、診療所では言葉がちがう。ヨーゼフが育った部族では、呪術師が病人の診療をしていた。だから、シュヴァイツァーが診療するとき、滑稽なことがおこった。
「ドクトル、この患者は、右のフィレ肉が痛いと言ってます(腰の痛み)」「こっちの患者の腹の中では、魔術にかかった虫が暴れています(腹痛)」「この患者の皮膚は、象の祟りです(象皮病)。象に捧げものをしなくてはなりません」
はじめ、シュヴァイツァーは面食らったが、すぐにヨーゼフのユーモアのある独自の診断になれた。とにかく、話が通じるようになったのだ。ヨーゼフも少しずつ医学用語を覚えていった。大問題は、遠くのジャングルの奥から運び込まれる患者には、何人もの家族が付き添って来ることだった。彼らの世話をもしなくてはならない。それは、全く予期しないことだった。
(2020年7月10日付765号)