ショートショート集『ボッコちゃん』星 新一(1926~97)
連載・文学でたどる日本の近現代(47)
在米文芸評論家 伊藤武司
ショートショートの第一人者といえば星新一。もっといえば、日本でこの分野におけるパイオニアが星である。芥川龍之介、志賀直哉、川端康成、安岡章太郎、阿刀田高らも短篇の名手として知られている。星より数歳年上の安岡が短篇文学が話題にならないことを嘆いた時代に、星はSFとスリラー物を主体に営々とショートショートを書き続けた。
ショートショートはアメリカで始まった超短編の形式で、特定の規定はなく、小説の体裁を具備した短い創作ということになる。多様なテーマを対象にSF、スリラー、ユーモア、オカルト、デストピアなど色とりどり。長さを調べると、『悪魔』『約束』は400字詰め原稿用紙で4枚程度、『ボッコちゃん』は8枚どまり。ショートショート集『マイ国家』の「語らい」に至ってはわずか2枚。ショートショートSFの古典とされた昭和32年発表の代表作『ボッコちゃん』は10枚にもみたない。
星は大正15年、東京市本郷区(現・文京区本駒込)に誕生。父親は星薬科大学を創立した実業家・星一で、新一は、苦学しながらアメリカの大学を卒業し、帰国後大学を設立、事業を興した目覚ましい父親の活躍ぶりを、異色の伝記にまとめている。母方の祖父は帝国大学教授、人類学者、日本解剖学会創設者の小金井良清、祖母は鴎外の妹・歌人の小金井喜美子。師範学校付属小学校、中学校から東大教養学部へ入学。昭和23年、21歳で農学部農芸化学科を卒業。本来なら学者の道を進むはずが小説家になったのは、医者ではなく作家になった安部公房に通じる。
たまたま手にしたSF作家レイ・ブラッドベリの『火星年代記』に啓発されて書き始め、昭和32年に30歳でデビュー。SF草創期の同人誌「宇宙塵」に発表した『セキストラ』が江戸川乱歩に称賛された。当時日本のSFは、世界の流れから遅れ、文壇の評価も低かった。世界ではメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』、アイザック・アシモフのSF短篇集『われはロボット』『ミクロの決死圏』、ジュール・ベルヌ『地底旅行』『海底二万里』、H・G・ウエルズの『タイムマシン』『透明人間』、ジョージ・オーウェルの『1984年』など、原作よりも映画のほうが有名なものもある。
星は『ボッコちゃん』『おーい出てこーい』でSFの舞台へ躍り出た。昭和34年、月刊雑誌「SFマガジン」が創刊され、同年、安部公房の『第四間氷期』が発刊。昭和38年に「日本SFクラブ」が創設されたころから日本にSFが定着していく。昭和45年にSF作品を対象に「星雲賞」が創設された。SFの御三家といわれるのが星と『日本沈没』の小松左京、『時をかける少女』の筒井康隆である。
作家の本髄を知るにはその作品を読むのが一番。『ボッコちゃん』の冒頭部の二節を引いてみよう。「そのロボットはうまくできていた。女のロボットだった。人工的なものだから、いくらでも美人につくれた。…もっとも、少しつんとしていた。だが、つんとしていることは、美人の条件なのだろう」
美人のボッコちゃんはバーのマスターが趣味で作った「本物以上」に精巧なロボット。バーのカウンターでお客の酒の相手をするヒューマノイドロボット(人型ロボット)である。評判を呼んだ作品はアメリカのSF誌「Fantasy & Science Fiction」に1963年、翻訳掲載された。
昭和36年、ショートショート『生活維持省』『雨』『その子を殺すな』など6篇が直木賞候補になったが、受賞したのは黒岩重吾の『背徳のメス』と仏教界の内幕を暴いた寺内大吉の『はぐれ念仏』。ショートショートがいまだ認知されず、中高生が主なファンであった時代でのことである。引き続き文脈をたどってみよう。
ボッコちゃんは「美人で若くて、つんとしていて、答えがそっけない。お客は聞き伝えてこの店に集まった」…「名前は」「ボッコちゃん」「としは」「まだ若いのよ」「お客のなかで、だれが好きだい」「だれが好きかしら」「ぼくを好きかい」「あんたが好きだわ」…カウンターで彼女に接している男の客は彼女が人間と信じきって話しかけているのである。ボッコちゃんは「本物そっくりの肌ざわりで、見わけがつかなかった」。バーの客とボッコちゃんの軽妙なかけひきが新鮮に映る。話のオチはまだ先で、会話のかもしだすユーモアな筆致から都会育ちの著者の性格がほの見える。現在、『ボッコちゃん』はショートショート集『きまぐれロボット』と共に300万部のミリオンセラーになった。
星の文章スタイルは洗練されたセンスの軽妙なタッチ、平易で斬新な文体もユニーク、意表を突く終わり方などが人気を博した。短いストーリーにもかかわらず、たちまち話に引き込まれてしまうのは星の筆力であろう。
ちなみに平成のSFスリラー作家に瀬名秀明がいて、『ボッコちゃん』から40年後にSFホラー小説の傑作『パラサイト・イヴ』でデビューし、いきなり日本ホラー小説大賞を受賞した。事故で死んだ妻のミトコンドリアの培養から再生されたクローン人間、未知の生物体イヴの暴走を描いた不気味なバイオホラー長篇である。科学者でもある瀬名の二作目『デカルトの密室』は、人工知能で作成された知的ロボットと人間の対立や共存を探り、意識や自我をテーマに考察した緊迫感のみなぎる問題作である。
生成AIの先駆け
SF小説家アシモフが小説内でロボット工学三原則を記している。ロボットは人間に危害を加えてはならないという安全性、人間の命令に従わなければならないという服従性、そしてロボットは自己を防衛することができるという自己防衛性である。この古典的なロボット工学の原則を前に、80年後の今では人間を殺戮するロボットまでが映像化されるAI(人工知能)の時代が到来し、どこまで進化するのか恐ろしいくらいである。アシモフから3年後に、マンガ界の巨匠『鉄腕アトム』の手塚治虫もロボットは人間を幸せにし、人間のためにあるとするロボット法を独自に創案した。つまり、人工知能の利点と欠点や限界を先取りしたルールを提示したことになる。
ハイテクの先端技術が進化した現代社会では、生成AIが米国を先頭に普及し実用化されている。情報の収集、文章・画像・アート・音楽の作成などのサービスを個人・企業ばかりか国の機関が議事録作成に利用するまでになった。しかし、AIの普及で雇用問題が生じたり、不測の事態に陥る不安材料もある。星が創造した「ボッコちゃん」は、対話型「生成AI」の先駆けといえよう。
未来社会を予感させ
星の手による自由に選択されたアイデア、話の筋の明快さ、さらに結末の意外性などで最大の効果を生みだすというショートショートの文芸ワールドは、日本的伝統の私小説的系譜とは別物である。その底流は創作に対する自己確信、明快な思想の定立であろう。巧みな創作技法、柔軟さ、機智とギャグとユーモアにあふれる作品にはまると、読後に心が乱され、妄想にかられる。
『デラックスな金庫』は資産家が財産のほとんどを使って豪華な金庫を作る話。家を売りアパートに住んでいる主人公は、ある夜、強盗に縛り上げられる。金庫の中はからっぽ。きらびやかな装飾で飾られた内部からオルゴールの曲が鳴り響き、自動扉が閉じ、強盗は御用になるというオチ。
『冬きたりなば』の「エヌ博士」は超高速のロケット研究者。「胴体や尾翼を問わず、すきまなく広告が書きこまれ」「盛り場の広告塔そっくり」の宇宙ロケットの艇長である。財産を注ぎ込んだ博士は企業の宣伝方々、宇宙の文明国に「清涼飲料水」や「光学関係、衣料品、食料品」を積みこみ、販売や広告権を取りつける宇宙旅行中なのである。ある惑星にたどり着き、住民たちとの交渉は大成功。「上等な服、便利な日用品、味のいいお菓子…地球で流行おくれや生産過剰になっている品」も含めて前渡しし、来年の春にやって来て「この星の特産品」を受取る予定。無事飛び立ったが、地球時間に換算すると次の春が訪れるまで5000年かかることが判明するというオチがある。
『最後の地球人』は未来社会を予感する作品。科学が急速に進歩、医療は進化し寿命が伸びた。食糧が「人工的に合成される」ようになると人口が増え続け「二百億を超え」た。動物や昆虫も死滅し「世界はひとつの都会」に。これではだめだと「だれもかれも心の底で叫んだ」とたん、前触れもなく人口増加はストップ。調べると「一組の夫婦から一人しか子供が生まれなくなっていたのだ」。社会は余裕が生まれ豊かで貴族のような暮らしができるようになった。一見「明るい楽しげな時代」だったが、人口は急速に減少し、滅亡の道をたどる。ついに一組の夫婦が地上最後の人類となり、産まれた赤子に名をつけることもしない。出産後に妻は死亡し、医療装置が自動的に処理してしまう。父親も事故で死亡。保育器内で一人赤子だけが残された。
中には切れ味鋭く社会風刺をストレートで説く『盗賊会社』、寓話的短編集の『未来いそっぷ』もある。ショート・ショート集『妄想銀行』は日本推理作家協会賞を受賞した。
以後、星のショートショートは教科書に採用されたり、NHKでドラマ化され、諸外国でも注目された。1968年の『白い服の男』は、20以上の言語に翻訳され、未来社会のコントロールされた管理体制を痛烈に風刺。その内容は世界中で興味深く読まれ、新鮮な感覚とパンチのきいたユニークさは今日でも色褪せていない。文中に「アール氏」「エヌ氏」「エヌ博士」「エフ氏」といった抽象的記号を使用し、疑問符や感嘆符、具体的な地名・場所などはめったに書きこまない。人物名も抽象的無色の記号でほぼ統一し、個性的な名前を避けている。殺人や暴力行為、性的シーンなどは書かないことにしているという。星の作品自体が異次元・夢幻の世界であり、それ以上加えることは不必要なのだろう。
しかし『生活維持省』には死の恐怖が静かに匂う。文明は高度に発達し、犯罪も事故も飢饉も自殺もなくなった社会の実現は、政府の苦心の賜物である。すなわち平和な社会、平等で安穏な日常があるのは、政府の「生活維持省」があるおかげ。「平和だなあ」と二人の役人はのどやかにつぶやく。ただ一つの例外、人間を計画的に抹殺することで人口の均衡を保つ、国策としての必要悪を除いては。もちろんこの物語にはアッと驚くオチが用意されている。役人の「私」は最後に自らを選択し「光線銃」で静かに消される。読者をあぜんとさせるこのブラックユーモアは計算されつくされた技巧である。
星新一はショートショートの名手であるが、異色の長編SFや推理小説も書いた。未来の情報社会を予測した先見性にみちた『声の網』。地球を訪れる異星人との接触、宇宙植民地での暴動、死者と交信できる機械の発明、死を感じなくなった人類の未来などとイマジネーションをふくらませる。新鮮な寓話集SF『ようこそ地球さん』にはデビュー作『セキストラ』一篇が収納。推理小説『気まぐれ指数』は人をだましたり騙されたりする男女のユーモラスな話で映画化された。推理小説『悪魔の標的』は、腹話術師の使う人形が、勝手にしゃべりだし人間の心を占領してしまうが、最後はハッピーエンドに。
伝記小説や評伝も
隠れた名文家として星は伝記小説や評伝にも筆を振るった。祖父や父親を題材にしたノンフィクション『人民は弱し、官吏は強し』は昭和42年に発刊。祖父の日記をたよりに3年がかりでまとめた長篇評伝『祖父・小金井良精の記』を昭和49年に出版。次に長編『明治の人物誌』では、亡父が野口英世、伊藤博文、後藤新平、新渡戸稲造、エジソンら著名な人々と様々な接点のあった事実を浮き彫りにしている。
昭和50年の『明治・父・アメリカ』を小島直記は「文体は、決して感動を強要しない。…それでいて、読むものに心からなる共感をおぼえさせ、…人間いかに生きるか、という一番大事な問題をピタッととらえ」、「それが見事に成功している」と評している。奥野健男は「ショート・ショートというジャンルで、これほど精力的に活躍している作家は世界でも星氏以外にいないであろう」と記す。
SF作家の重鎮として、星は千篇以上のショートショートをチェック・推敲し文章に生命を灯しつづけた。このような自助努力もあって、星文学が時と世代を超えて広く愛されているのである。
昭和51年に日本SF作家クラブ初代会長に就任。昭和55年からは日本推理作家協会賞の選考委員を務め平成9年、71歳で没した。平成25年、星の生涯の功績を称えた「星新一賞」がSF的なショートショートと短篇小説を対象に創設されている。
(2024年5月10日付 811号)