仏陀を朋とした近角常観

連載・近代仏教の人と歩み(5)
多田則明

寺の宗教から、人の宗教へ

近角常観

 近角常観(ちかずみじょうかん)は明治から昭和にかけて活躍した真宗大谷派の僧侶。東京本郷にあった同宗派の求道学舎と求道会館を拠点にした講演などの活動で学生や知識人を感化し、特に『歎異抄』を中心に親鸞の精神を説いて、三木清や谷川徹三など近代日本の知識人に大きな影響を与えた。
 近角は明治3年、滋賀県東朝日村(今の長浜市)にある西源寺(さいげんじ)住職・近角常随の長男として生まれ、東本願寺の育英教校に学び、そこで清沢満之(きよざわまんし)に出会う。東本願寺の留学生として上京した近角は、明治28年に帝国大学文科大学哲学科に入学し哲学者の井上哲次郎に師事した。明治29年から30年にかけて宗門改革運動に参加するが、挫折して帰京。深刻な煩悶の果てに病(筋炎)に倒れるが、その後、回心を体験して信仰を確立した。
 病気に加えて心労が重なり、人間関係をこじらせた近角は、友達も不信してしまう自分に嫌気がさし、酒を飲んでは一時の気晴らしをするが、信仰の喜びも忘れてしまいそうになった。故郷に戻っても両親には反抗的な態度しかとれず、やがて苦悶の頂点で、部屋の中を爪先立ち、きりきり舞うような状態になったという。
 腰部の激痛から医師の診断を受けると、肉の下が膿む難病で、滋賀県立長浜病院で切開手術を受け、2週間入院した。退院後、「自分は罪の塊である」と苦悶しながら通院していたが、ある日の帰り道、空を見上げるとにわかに気分が晴れ、煩悶が解消された。そのときの様子を近角は自著の『懺悔録』に記している。
 「これまでは心が豆粒の如く小さくあつたのが、此時胸が大に開けて、白雲の間、青空の中に、吸ひ込まれる如く思はれた。(中略)それから私はつくづくと考へて、大に自分の心に解つて来た。永い間自分は真の朋友を求めて居つたが、其理想的の朋友は仏陀であると云ふことが解つた。」
 信仰的課題を抱えながら生きていると、ふとしたきっかけでこのような体験をすることがある。悩みながら夜の街を彷徨していて、ふと見上げるとそこに輝く銀河があり、悩んでいる自分が宇宙から見るとほんの小さな存在でしかないことに気づき、気が楽になるなど。状況は同じでも、視点を変えることで自分の人生を見直すことができる。気づきのきっかけの多くが自然との交わりなのは日本的風土と言えよう。
 そうした青年期の普遍的な現象に、近代的自我の確立という時代的要請が加わっていたのが明治期の日本であった。キリスト教文化の西洋発の概念に、宗教的類似性のある浄土真宗の信仰者が、さきがけて反応したのである。
 近角は明治31年に東京帝国大学を卒業すると、仏教徒国民同盟会の結成に参加し、巣鴨監獄の教誨師事件に取り組む。これは、キリスト教徒の同監獄所長が大谷派僧侶の教誨師3人に辞任を求め、代わりにキリスト教徒の教師を採用したことに仏教界が猛反発した事件である。近角は仏教徒国民同盟会(後の大日本仏教徒同盟会)の主要メンバーとして運動にかかわり、大谷派僧侶2人の採用に成功した。
 さらに明治32年に近角は山縣内閣が帝国議会貴族院に提出した宗教への監督強化を図る宗教法案に対する反対運動を中心になって展開し、廃案に持ち込ませたことで名を挙げた。
 明治33年、大谷派の執行部から高く評価されるようになった近角は東本願寺の命で欧米視察に赴き、翌34年4月8日にはベルリンで「花祭り」を挙行した。35年に帰国すると「求道学舎」を開設して日曜講話を始め、好評を博するようになる。
 ところが昭和に入ると近角は、放漫経営で宗派を財政危機に追い込み僧籍を削除された真宗大谷派第23世法主・大谷光演(こうえん)の擁護運動を始め、彼自身も僧籍を剝奪される。後に復帰が認められるが、宗派を二分する騒動に心身をすり減らし、昭和6年には脳溢血で半身不随になってしまう。加えて後継者と期待していた長男が中国で戦死し、失意の中で昭和16年、亡くなった。
 近角の支持者は日露戦争後に広まった、いわゆる「煩悶青年」たちで、華厳滝で投身自殺した藤村操がその代表とされる。欧米列強の脅威を背景に、富国強兵で急速な近代化を遂げてきた日本が、日露戦争の勝利でほぼ所期の目的を達成すると、国民一人ひとりの生きる意味が取り残されていたことに気づく。時代の変わり目に見られる空虚感の広がりで、それに応えようとした仏教者が、江戸時代までの寺の宗教から人の宗教へと転換を図ったのである。
 近角が仏陀を崇拝の対象ではなく、人生を共に歩む朋と自覚したのは、遠藤周作の同伴者イエスにも通じ、日本人の宗教観に沿ったものと言えよう。同じ仏教では、真言宗の弘法大師との「同行二人」がそれに近い。そうした信仰のあり方に先鞭をつけた一人が親鸞で、時代を経た近代日本でそれが実を結んだとも考えられる。
(2023年9月10日付 803号)