ニホンオオカミと三峰信仰

連載・神仏習合の日本宗教史(15)
宗教研究家 杉山正樹

 

埼玉県秩父市・三峯神社の奥宮から妙法ケ岳を望む

 150年ほど前、奥秩父の山岳にはニホンオオカミが多数生息していた。秩父に聳え立つ白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三峰は、古来より山岳信仰文化が根付く霊山で、三山が連なる修験道の霊場でもあった。三岳は中央に最も高い山が位置し、左右に低い山が配置される。このため、各々「中峰」「左峰」「右峰」と呼ばれた。三峰山は、山岳自体が神聖な力を持つと考えられており、これを神聖視してその霊的な存在に敬意を表す三峰信仰と呼ばれる山岳信仰が育まれた。
 景行天皇の御代、天皇は国を平らくなさろうと、皇子である日本武尊を東国に遣わされた。尊が甲斐国から上野国を経て碓氷峠に向われる途中、邪神が大鹿の姿で現れたので野蒜で退治したが、大山鳴動して霧に巻かれて道に迷ってしまう。その時、忽然と白いオオカミが現れ、尊を道案内したという。雁坂峠を越えるとたちまちにして霧は晴れ、現在の三峰山にたどり着いた。尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、昔、伊弉諾尊・伊奘冉尊がわが国をお生みになったことを偲び、二柱を勧請し宮を造営しお祀りされた。これが現在の三峯神社の創建である。
 また、道案内したオオカミを称えられ、「大口真神(おおぐちまさかみ)として人々を護り、そこに留まるように」と命じられた。以後「大口真神」は、神格化され三峰山の御眷属として崇敬される。「真神」とは、「まことの神」「正しい神」の意訳があり、三峰信仰ではオオカミを非常に格式の高い眷属として位置づけている。「大口真神」は、聖獣として崇拝され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。また、人語を理解し人間の性質を見分ける能力、善人を守護し悪人を懲罰する霊験を有すると信じられた。オオカミは、山火事や盗賊に遭遇すると遠吠えでこれを知らせることから、特に火難や盗難から守護する力が強いとされ絵馬などにも描かれた。

三峯神社の三つ鳥居と御眷属のオオカミ像

 平安期になると、役行者と弘法大師が三峰に相次いで登攀(とうはん)し、本地仏となる十一面観音の彫像が祀られた。16世紀には、行者・道満が観音院を建立、天文2年(1533)に天台寺門宗本山派・聖護院が神号を授け、「大口真神」は三峰権現として神仏習合色を強める。以後、強靭かつ神秘的な生き物としての役割を与えられ、オオカミ=大神として民衆の中に広まっていく。オオカミの神霊を宿した祈祷神札は、僧・日光法印が東北まで流布し「門戸に貼れば難を免れる」として広く尊崇され、やがて「三峰講」も組織されるようになった。
 三峯神社は、埼玉県秩父市三峰に鎮座し三峰信仰の「まほろば」に位置される。山道の坂道を進み、ほどなくすると荘厳な三つ鳥居が現れ一対の御眷属・オオカミ像が、参詣者を出迎える。境内の森は、ひんやりとした神気に包まれ俗界を寄せ付けない。本殿東方には、5メートルを超える日本武尊像が鋳造され、奥宮遥拝殿からは奥秩父の景観が一望できる。奥多摩周辺には、三峰神社を中心にオオカミを御眷属とする神社が20あまり存在し、例えば静岡県浜松市天竜区の山住神社は、地域の山犬信仰の中心地となっている。また、御岳信仰で知られる山梨県甲府の金櫻神社の神札にはオオカミが描かれる。御眷属は、いずれの社においても御犬様の愛称で親しまれている。

奈良県東吉野村にある等身大のニホンオオカミ像

 日本オオカミはかつて本州・四国・九州にも生息していたが、20世紀初頭には絶滅してしまう。最後に確認されたのは、1905年に奈良県東吉野村で捕獲された一頭のオスであった。ニホンオオカミが絶滅した大きな理由は、明治以降の西洋犬の導入に伴う狂犬病とジステンパーの蔓延である。他には、家畜に害をなすという誤った情報の流布により徹底的な根絶が行われたこと、道路や橋梁を建設するために多くの森林が伐採され、餌とするイノシシやシカが激減したこと、などが指摘されている。
 丸山直樹は著書『オオカミ冤罪の日本史―オオカミは人を襲わない』で、ニホンオオカミの本当の姿を解明している。ニホンオオカミは決して人を襲うことがなく、また人前に姿を現すこともないという。ニホンオオカミが絶滅したことで、全国の野山は、鹿猪の獣害に悩まされることとなる。三峰神社では、毎月2回、豆を混ぜた赤飯を御眷属に捧げる「お焚き上げ祭」と呼ばれる神事を執り行う。ニホンオオカミは今もこの山の何処かに生き続けている、と秩父の人々は強く信じ、三峰山に深い祈りを捧げているという。
(2023年7月10日付 801号)