【映画紹介】「人生ドライブ」 城戸監督インタビュー
熊本県宇土市で暮らしている岸英治さんと信子さん夫婦には7男3女の10人の子供がいる。一番上から下まで17才離れているという大家族だ。岸家に21年間密着取材した地元の熊本県民テレビは、「NNNドキュメント」で話題になった、家族のTVドキュメンタリーを、開局40周年を記念して映画として再編集した。
福岡の大学に進学した英治さんは、未来の妻信子さんに出会う。「愛国から幸福行き」切符に葉書にしたためたプロポーズの言葉は、「私は君を幸福にするために愛国からやってきました。これはそのための切符です。君にしか発売しません。すぐには幸福にはいけないかもしれませんが、ずっと乗っててください。道を外れないよう運転します」。そして二人は結婚。
それから時は経ち、いつしか二人は10人の子供を授かり、子育てに奔走する毎日を送るようになった。英治さんと信子さんは子供一人ひとり向き合う時間を作るために、毎月その子供が生まれた日には一対一の時間をつくる。子供たち一人ひとりが二人にとってはかけがえのない存在だ。手作りのカレンダーには毎月子供たちの名前が書いてあった。
休みなく回り続ける洗濯機、大量に作る食事、この家事を信子さんが一手に引き受ける。そして英治さんは大家族を養う為、早朝の新聞配達から始まり、運転手、福祉の仕事、そして夜は魚屋でアルバイトをして稼いでいた。転職を繰り返しながらも仕事を掛け持ちしてなんとか頑張って家族を養ってきたのだ。子供たちが大きくなるとそんなお父さんの仕事を手伝うようなる。
もちろん、家族の生活は楽ではなく、使い古しの制服を着て学校に通ったり、年頃の女の子、妻の信子さんの散髪でさえも英治さんが引き受けたりして、お金を節約している。そういう中でも夫婦は二人きりでのデートは欠かさない。映画館へ、二人が好きなドライブへと、忙しい中でも二人きりの時間を大切にしていた。
家が火事に見舞われ、全焼してしまうという未曽有の危機に陥った岸家であったが、それでも笑顔と感謝を忘れずに前向きに頑張りつづけ、その危機から立ち直る。だがそんな岸家を支えて頑張り続けてきた信子さんが、ついに2020年に脳梗塞で倒れ入院してしまう…。
岸家の子供たちが進学、就職、結婚と各自が成長し、巣立っていく姿を見ながら、幸せとは何か、子育てとは何かを考えさせられる。また、英治さんと信子さんが子育ての中でもいつもお互いを思いやり、励まし合う姿は夫婦の愛の教科書でもある。
<令和4年文部科学省選定作品>
5月21日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
城戸涼子監督インタビュー
城戸監督は熊本県民テレビで、岸さん家族の取材を2006年から2年間担当し、ドキュメンタリー番組の制作に携わりました。その後、職場異動に伴い一旦外れ、2019年に再び担当するようになりました。現在はローカル情報番組「てれビタ」のニュース編集長として日々起こる熊本の出来事と向き合う傍ら、小さなデジカメを持って岸さんの取材へ足を運ぶ日々を送っています。宗教新聞社では、今回特別に城戸監督にインタビューし、映画を作ったきっかけや、制作にまつわるエピソード、今後の抱負などを語っていただきました。(聞き手:宗教新聞記者 石井康博)
――岸さん家庭に密着したドキュメンタリーから映画を作ろうとされたきっかけをご説明下さい。
一番はやっぱり、熊本県民テレビに残っている密着した20年分の映像というのを、もう1回世に出す形が映画ではなかろうかと思いました。一度放送したものをもう1回見たいと思っても、地上波のテレビ局で行うとしたら再放送しかありません。また、テレビ放送だとどうしても20年間の映像の中の一部分だけを切り取って、ダイジェスト版のようなでしか出せないのですが、一連の流れを見てもらうことで、古い映像の意味合いも変わってくると思いました。映画になれば、そこは見た人にどんな感想を持つかを委ねられる、一緒に映画見に行った人の感想が隣同士で全然違ったとか、印象に残ったシーンが全然違ったとかいうのはやはり映画ならではの話です。また、開局40周年ということで、社内で企画書を出す期間があり、その時私が再び岸さん家庭の担当になったので、映画をつくるという企画書を書きました。いろいろなタイミングが重なりました。
――映画の紹介を見ると、家族と子供と触れ合いに加えて恋愛映画だという説明がありました。岸さんのご主人さんと奥さんの恋愛映画として描いた理由を教えてください。
やはり一番は子供が10人いる岸さん夫婦ではなく、英治さんと信子さんの物語であり、私も二人に魅力を感じたので、それを大事にしたいと思いました。たまたま子供は多いし、珍しいので、「子供が10人」が枕詞につきやすいのですが、時間が経ってもう一度担当してみると、もう子供家に2人しか残ってなく、大家族ではなくなっていました。そして英治さんが信子さんを信子さんが英治さんを大事にしているということが、言葉でなくても、態度で伝わってくるのです。英治さんが洗濯物を干しているときに「いなくなると気付くものがあるんですね」とボソッとつぶやかれたりとか、退院して帰ってきた信子さんが、「病院へ行って離れているぐらいが丁度良かった。障害がある方が恋は燃えるでしょう」とかいう事をカメラ回していたら、おっしゃったりとか、やはり、入り口は大家族であったとしても、最後は、夫婦は二人っきりに戻っていくわけで、何かそこに向かう物語の途中だというものを映画で描けるといいなと思いました。
――監督の目から見て、岸さん夫婦は子育てに成功されていると思いますか。
子供たちが成長して大人になった姿を見て、私はそう思います。子育ての時には、どの子にも「あなたが大事なのよ」というメッセージをきちんと伝えていました。だから宇土市の岸さんの家が、皆にとって安心して帰れる場所になっているのが伝わります。「実家に帰るのが大好き」と公言している子たちが沢山います。独り立ちして社会人になっている子も、疲れたときに羽を休められる場所があるのです。それはとっても素敵なことだなと思います。そして映画を見てくださる方々にとっても自分の大切な人のことを思い出してもらったらいいなと願っています。
――日本の少子高齢化についてはどう思いますか。
報道現場でニュースの取材をしていて、家庭だけで子育てをするものではないとずっと思っています。熊本地震の時も障害者の避難の実態を取材していましたが、自己完結ができない、社会的弱者がいるということを忘れてはいけないと思います。子育て中はお父さんお母さんが家の中で解決してくれとなりがちですが、そうではなく、家庭環境がいい人も悪い人も世の中にはいるので、本来、社会的弱者に対しては、家の中とか親戚ではなく、社会が安心して育てられるような仕組みを作っていくことの方が大事だと思っています。もうちょっと何か一緒にやっていけることがあるのではと思っています。
――熊本は慈恵病院の赤ちゃんポストが有名ですね。
慈恵病院が何とかしなければという思いで動き始めて、熊本市の当時の市長も含めて動いたので設置できました。あそこで救われている命はたくさんあると思います。ただ、理想は赤ちゃんポストがいらない社会なのだろうと思います。お母さんが考えなければいけないっていうよりも本当は私も含めた周りの人ができることは何なのだろうという問いを突き付けているのだろうと感じています。
――映画の中では、お父さんがものすごく苦労されている部分、本当に朝から新聞配達して、昼間も仕事をし、また夜も仕事という所をクローズアップしていますね。そこの部分を監督としてどう思っているのでしょうか。
ああやって休みなく働いているお父さんの姿を子供たちが見て育ったことも、きっと何か子供たちの成長の為に意味があったのではないかと思います。映画が出来上がって、披露上映会に来てくれた息子さんたちが、お父さんとお母さんから何か人生の地図みたいなのを渡してもらったと、話して下さいました。
――続編を考えていらっしゃいますか。
まだ、考えてはいませんが可能性はあると思います。
映画の中の映像は、2000年ぐらいから2021年11月で、終わっていますが、熊本県民テレビで、その後も取材はしています。例えば今年の1月は不動さんが成人の日を迎えたので、その日に取材しました。それから5男の日向さんがちょっと白血病になって、緊急入院したのですが、予後が良かったので、現在は自宅療養という形を取っています。あとはおばあちゃんの介護が始まったりだとか、実は岸さんの家の人生の記録に関しては、映画が出来上がってもやめず、今も撮影を続けてます。
――映画に係わった監督、スタッフの方も英治さんや信子さんの生き方に感銘を受けたり、影響を受けましたか。
はい、感銘を受けましたし、影響も受け、また反省もだいぶしました。親しい人に対してはいい加減な態度になりやすいのですが、英治さんや信子さんはお互いに尊敬しているのが傍から見てもわかります。カメラマンや編集班と一緒に今回の映画も編集しながらも、「見習わないといけないね」と話していたり、家に帰ったら家族にもう少し優しくしようかなと思ったりしています。
――ありがとうございました。
城戸涼子(きどりょうこ)
1979年生まれ、福岡県出身。2002年4月、熊本県民テレビに入社。2006年、汚染された血液製剤でC型肝炎に感染した患者たちが国を相手に起こした「薬害肝炎訴訟」の原告を追い、ドキュメンタリー番組を初制作。「ひとの人生にふれること」に魅力を抱き、その後は災害や過疎問題のほか福祉や政治、鉄道など様々なジャンルで20本以上のドキュメンタリー番組制作に携わる。今回の映画が初監督作品。