タケノコの季節

2021年4月10日付 774号

 天地子の暮らす里山に、タケノコの季節がやってきた。竹やぶに入ると、今年はイノシシが掘り返した跡が見られない。かなり捕獲に力を注いできたので、数が減ったのだろう。例年だと、イノシシが食べ荒らし、食べ飽きた後、人間の口に入るタケノコが、今年は最初から掘られるを待っていた。
 食卓にタケノコの天ぷらが盛られたのを見て息子が、「今年もタケノコ地獄が始まる」とつぶやいた。思わず、「地獄ではない、天国だ」と反論する。地獄はタケノコ掘り、天国は食卓、さしずめ煉獄は大釜でのタケノコゆでか。地獄の釜ゆでの刑ではない。
 大量のタケノコに備え、今年は大釜を二つそろえた。夜明けと同時にタケノコを掘り、一輪車で運んで、ぬかを入れた大釜に入れる。ドラム缶を半分に切ったかまどに、廃材をくべて、1時間。後は冷めるのを待ちながら、別の仕事。
 昼過ぎに、大釜の前に陣取り、タケノコを取り出しては出刃包丁で切り、皮をむく。タケノコの香りに包まれる至福のひとときである。
 次の問題は配り先。最初は「ありがとう」と歓迎されるのだが、次第に「もういらない」に変わる。そこで、身近な人から遠くの人へ、それも都会へと配り先を変える。資本主義社会における流通の問題である。流通は価値を生まないと言ったマルクスは間違っていた。
 最後は、どう料理するか。レパートリーが今一つの妻を「のびしろさん」とおだて、レシピを調べ奮起を促しているのだが…。

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