英雲荘

2021年2月10日付 772号

 2月3日、山口県防府市にある防府天満宮の牛替神事を取材した折、「英雲荘」を訪ねてみた。江戸時代に長州藩2代藩主・毛利綱広によって建てられた長州藩の三田尻御茶屋の今の名称である。1863年には、京都の政変で長州へ逃れてきた「七卿落ち」の三条実美ら7人の公卿が、ここの大観楼棟に約2か月滞在し、13代藩主・毛利敬親(たかちか)や高杉晋作らと面会している。
 敷地の北側には招賢閣(しょうけんかく)が建てられて三条らの会議場所となり、幕末の志士たちが足繁く立ち寄ったという。しかし、翌64年の禁門の変で廃止され、明治維新後に解体されたが、三田尻御茶屋は毛利家の別邸として使用され続けた。1939年に毛利家から防府市に寄付され、防府の産業振興に尽力した7代藩主・毛利重就(しげなり)の法名から「英雲荘」と名付けられる。
 太平洋戦争後は進駐軍将兵らの集会所となり、大観楼棟1階をダンスホールとするため、畳を取り外して床を下げ、絨毯敷きにするなどの大改築が行われた。ふすまに「open」などと英語で書かれた跡があり、占領期の記憶を伝えている。
 その後、市の公民館になっていたが、89年に「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」として国の史跡に指定された。96年に修復保存工事が始まり、各棟が往年の姿に復元されると、2011年から一般公開に。茶室もある庭の池に檜皮葺の屋根が映え、水琴窟の音色も楽しめて、往時のたたずまいを見せている。

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