秘密の贈り物に大感激
連載・シュヴァイツアーの気づきと実践(12)
帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫
フランスの南海岸、ボルドー近くの港からシュヴァイツァー夫妻はヨーロッパ号に乗ってアフリカに向けて船出した。1813年3月、彼は38歳になっていた。目的地はアフリカ中部を東から西に流れるオゴウェ川を、河口から蒸気船で数時間上ったランバレネという小さな村。フランスからは23日もかかる船旅だった。
波に揺られながら、シュヴァイツァーは苦しかったけれど楽しくもあった、学びとオルガン演奏の日々を追想するのだった。そして、未知の土地での医療奉仕に思いをはせた。
ある日、船に積み込んだ荷物が気になり、船底の倉庫へ行ってみた。そこには「AS行き」と記された大きな箱が70個も積まれていた。ASとはアルベルト・シュヴァイツァーの頭文字だ。少しの生活用品のほかは、ほとんどが医薬品。その中に、彼は出荷した覚えのない、大きな荷物を見つけた。不審に思って送り主を確かめると、それはヴィドール先生からのものだった。荷物には手紙が添えられていた。
「君がアフリカへ行く決心をして医学部に再入学すると知ったとき、私は大反対した。反対者の先頭に立って、君を諫め、君の心変わりを願った。何とか君をヨーロッパにとどめようと、知ってのとおり『パリ・バッハ協会』を設立し、君に専属オルガニストになってもらった。君が最適任者だったからだ。その後、君はあちこちの演奏会で大好きなバッハをひいてくれた。バッハをひかない生活など君にできるはずがない、と私は思っていたのだ。しかし、君の決心は変わらなかった。やがて、君の堅い決意と信仰心が、私の心を変えた。いつからか、私は君に気づかれないように募金活動をはじめた。それがこのピアノと医薬品の贈り物になったのだ。アフリカの原始林に響くバッハは、君を力強く支えてくれることだろう」
読みながらシュヴァイツァーは、恩師の心遣いに思わず涙をながした。このピアノは特別注文によって作られたものだった。パイプオルガンと同じように足のペダルがあり、アフリカの湿度に耐えられるように設計されていたのだ。
「このピアノがあったからこそ、私はアフリカでの奉仕をつづけることができた。夕方のひとときにひくバッハが、どれほど大きな慰めになったことか……。私は恩師、ヴィドール先生と友人たちの友情に応えるため、いっそう励むことができた」
後年、シュヴァイツァーはこのように述懐している。世界にたった一つのパイプオルガン式ピアノは、彼のふるさと、ギュンスバッハのシュヴァイツァー記念館に保存されている。
シュヴァイツァー夫妻が目的地のランバレネに着くと、すでに何人もの病人が待ちわびていた。ヨーロッパから医者が来るという情報が、このあたりの部族民たちにいきわたっていたのである。夫妻には休むひまもなかった。カバンに入れてきたわずかの器具と薬での治療がはじまった。頼んでいた診察室はできていない。木陰での診療だ。毎日、スコール(短時間の大雨)におそわれた。それは予期しない苦労だった。スコールを避けるため、鶏小屋を改造して診察室にした。シュヴァイツァーは、にわか大工にもならねばならなかった。
(2020年6月10日付764号)