『砂の女』安部公房(1924〜1993年)
文学でたどる日本の近現代(8)
在米文芸評論家 伊藤武司
前衛的な未来小説
『砂の女』は、38歳の安部公房(こうぼう)の名を一躍世界に知らしめた前衛的、未来的な小説で、多くの言語に翻訳され映画化もされた。安部の作風は、特異なバックグラウンドを設定したり、あるいは主人公を奇抜な環境やSF的未来世界に置くところにある。前衛的な出世作「壁」をかわきりに、『第四氷河期』『箱男』『燃えつきた地図』『水中都市』などにもみられるように、安部作品を革新的で前衛芸術の典型とすることは的を射ている。
『砂の女』の構造もそうした範疇に分けられ、ある男の失踪物語だが、ありきたりの失踪ではない。しめくくりの処理が、いかにも異彩の前衛派らしさで、奇才の実力が光っている。一人の男の「純粋な逃亡」劇を描いたストーリーの終結の意外性は出色で、世界を驚かせた。初めから終わりまで、特殊な環境での少ない登場人物の会話や行動が不思議な展開を見せている。
作品の場の設定はユニークで、偶発的な出来事を特異なストーリーとして創作した。冒頭部分はカフカの『審判』を思わせ、どんな進展になるのか、興味が一気に増す。
小説の主人公は都会に住む中学校教師の仁木順平。ある日、妻や勤務先に告げず、海辺近くの砂丘へ趣味の昆虫採取にでかけた彼は、夢中で採集しているうちに異次元の土地へ迷いこんでしまう。偶然出会った部落の男に一夜の宿を頼むが、一見人あたりはよさそうな男に、実は巧妙な計略が隠されているのを知る由もなかった。安部文学のファンタジーのスタートである。
案内された所は、部落の一番はじにある砂の壁に囲まれた深い穴。地上から一本の縄梯子が垂れ下がり、砂底の家屋には寡婦が一人で住んでいた。30前後の女は、絶えず崩れ落ちる砂の流れと戦いながら、村が埋もれないように砂掘りの作業を日課としていた。砂の女との運命的な邂逅である。
翌朝、自分が砂掘りの助け手として捕らわれた「お客さん」であることを知った男は、愕然とし、気違いざただと逆上する。しかし時遅しで、縄梯子は外されていて、地上に出ることはできない。こうして主人公は、その日から外部と完全に遮断され、異常で、不条理で、アリ地獄のような生活が待ちうけていた。その印象は、砂、砂、砂…、砂が全てなのである。
砂掘りが日課に
安部公房は16歳まで満州(現・中国東北部)で暮らし、砂漠的な風土に憧れをもっていたと、エッセイ集「沙漠の思想」で触れている。生き物のように流れ動く砂に魅せられたのである。
砂の壁に囲まれた穴底での砂作業は重労働で、一日作業を怠れば、壁が崩れ、家が押しつぶされかねない。砂の女の夫も砂の崩落で死んでいた。部落に押し寄せる砂を防ぐため、砂掘りをおろそかにすることはできない。スコップで石油カンに砂をつめこみ、上から降ろされるモッコで、地上の部落民に引き上げてもらうのが日課なのである。
全身砂まみれになりながらの単調な作業には、村役場からわずかな日当がついた。要するに、部落を守るとともに、生計を立てるための作業である。そこに男が加わったので、砂の女との共同作業になる。そして男は部落の人たちからひそかに監視されていた。
食料や水などの生活物資は、地上からロープでつるしたかごで運ばれる。穴底に井戸はなく、ラジオもない。かまどで女が煮炊きする食事は、どこか砂の味がした。砂掘りで疲労した体を癒す焼酎や湿っぽいタバコはあるが、夜はランプを灯すしかない。男は脱出を企てるが失敗してしまう。女をだまし、密かに手製のロープで脱出するチャンスをうかがうこともあった。
人手不足を補うために捕らわれた男の長々しい独言や、女との日々の会話が小説の相当部分を占める。砂掘りの様子を日記風に書いたり、穴倉での生活をつぶやき、外界にいたときの出来事を回想する。妻との暮らし、同僚との付き合い、教壇に立ち生徒に対したことなど、こまごまと吐かれては消えていく。でも、「あいつ」とそっけなくつぶやく妻との暮らしは、お世辞にも親密とはいえないようだ。囚人のような生活は、当初、違和感と束縛感と不協和音が鬱積し、砂の女にはもちろん、何に対しても不満と敵意をまるだしにするばかりであった。自由を奪われた男は、怒りと焦燥感からトラウマにかかるが、不本意ながら女と一緒に砂掘りの作業に従事する。
時間がたつにつれて、次第に事情が分かってくる。第一に、男が閉じ込められた穴は部落中にいくつもあり、そこでも人びとが砂掘りの作業をしていた。部落は海辺の漁村にもかかわらず、漁船は一隻もない。行政から見放された貧村で、社会から疎外され、見捨てられたような人びとが住んでいた。幽閉に憤慨する男の敵対心の矛先は、当然、彼を穴底に閉じこめた部落民や女に向けられたが、彼らも同情されるべき側にいたのである。かつてはもっと多くの村民が住んでいたが、引っ越したり脱走したりし、残った部落民は、砂の害から身を守るため、「愛郷精神」の掛け声で団結するようになったのである。
男の脱出は一度成功した、かに見えた。砂の穴からはい出したものの、砂の深みに足をとられ身動きがとれなくなる。そのあげく、追っ手に発見・救助され、再び穴倉の底へつりおろされてしまう。脱走の試みは失敗したが、捕まるまでの男のスピード感のある行動や好奇心の混じったつぶやきに独特な滑稽さがある。
狭い空間の一つ屋根の下の異常な生活をつづける男と女が、鬱屈した精神状態から、やがて欲情のおもむくままになるのは目に見えていた。事故で夫を亡くした砂の女は、外から新たな男がやってきたことを内心では喜んでいたのである。そうした女の内情のわからない男は、脱出の夢をあきらめなかった。
ある段階から、鬱積した彼の心に微妙に変化が生ずる。砂掘り作業の日常は、食べ物以上に水が一番貴重であった。体にこびりついた砂を洗い流すため時には行水も必要で、地上から配給される水だけでは足らない。そんな時、男は偶然、砂の間から染み出る真水を発見した。毛細管現象からそれを知った男は心から喜び、それからは溜水生成の実験に情熱を傾けるようになる。
同じころ、男に愛情を感じはじめた女が妊娠し、新たな局面をむかえる。激痛を訴える女を入院させるため、布団にくるみ縄梯子で引き上げた。部落民が女を連れ去った後に、たれさがったままの縄梯子があった。ところがあれほど待ち焦がれていた脱出劇を男は実行しない。男には心境の変化がはっきり芽生えていた。
「べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている」と。
砂の一角に定住する
小説の末尾は、砂の一角に定住することを自らの意志で決め、部落にとどまろうとする男の独言で占められる。一旦は地上に出たものの、ざらつく空気とよどんだ空をながめているうちに、溜水生成の実験装置が気にかかり、再び地下に戻ってしまう。渇望していた脱出の夢が、潰えたのである。
意外性で始まった男の失踪と数年にわたる幽閉のストーリーに、意表をつく形で終止符がうたれる。この小説の面白さは、自由を奪われた人間が、穴倉の中で過ごすうちに、いつのまにやら環境に順応し、脱出の欲望を喪失してゆく心理的動きに求められる。
外の世界の喜びの少ない慢性的で煩わしい生き方に疲れていた男は、倦怠と疎外感にさいなまれていたわが身を思い起こし、砂の穴の生活を続けてみようという気になる。それは、既存の世界から離れ、既成概念を捨て、今の自身を起点とする観念である。地上の生活は、もはや彼にとって必要条件ではない。妻や職場などに後ろ髪をひかれることもなく、愛着も郷愁も覚えないという心境に至っている。
現代社会の無機質性やコミュニケーション不足は、時代とともに肥大し続けている。快適でストレスのない生活など、特に都市においては望めない。『砂の女』は、虚無で不毛な社会が、地下生活との比較でアイロニカルに表現されている。幽閉された男の運命は、人生とは突然の事象の連鎖であることを暗喩的に示しているのだろう。
外界と遮断されたのは夏で、その夏が終わり秋が来て、年を重ねながら7年以上が経過していく。主人公の妻から出されていた失踪届が、裁判所で死亡者として宣告される。男は既存の世界から完全に失踪したのである。
失踪や蒸発が珍しくない現代にあって安部公房は、そうした人間の心理を分析しながら一つの結論を導きだす。砂の女との出会いから穴倉での共同生活が始まり、次第に定着・同化しながら、一個の人間の内面が変貌する様である。
果たしてこのドラマは、悲劇と結論づけられるであろうか。長い幽閉から地上へ戻る願望を放棄したのは、男自身であった。要は、人生の選択の問題であることが分かる。
この小説は、既存の社会での生活と、砂穴の底の生活とを、相対的にとらえている。人間の意識次第で人生はいかようにも選択出来ることを、男の決心が暗示している。こうして「砂の女」は、人生が選びであるという強いメッセージを発したのである。
閉ざされ、常に流れ動く砂の世界にとどまることで、主人公に新たな地平が開かれてゆく。その世界では、地上での経験や肩書は何の役にもたたない。「純粋な逃亡」者となった彼は、これからどのような生の選択をし、新たな一歩を踏みだそうとするのであろうか。
(2020年4月10日付762号)