松帆銅鐸

2019年7月10日付 753号

 6月15日、淡路島の伊弉諾神宮に行った帰り、2015年に発掘され、話題になった松帆銅鐸を見ようと、南あわじ市滝川記念美術館玉青館を訪ねた。松帆銅鐸は7個がまとまって発見され、さらに6個の中に、吊り下げて鳴らすための青銅製の舌(ぜつ)が入れ子状態になっていたことで、銅鐸の使い方が明らかになったのである。
 美術館に展示されていたのはレプリカで、3個が紐に吊るされていて、鳴らしてみることができた。何らかの儀式の始まりに鳴らしていたのであろう。古代国家形成前の風景で、国産み神話の淡路島にふさわしい。
 ところで玉青館というのは、日本南画界の第一人者、直原玉青(じきはらぎょくせい)画伯の絵画が展示されているからで、それがメーンである。玉青は岡山県赤磐市の生まれで、幼少年期を淡路島で過ごし、大阪で画業の研鑽を積み頭角を現した。その後、南画の真髄を極めるため黄檗宗の僧となり、やがて現代南画協会理事長に。1980年には島内唯一の黄檗宗寺院・国清禅寺を復興して住職となり、数十点の襖絵を描いた。
 美術館の近くにある国清禅寺を訪ねると、玉青の養子になって寺と画業を継いだ住職に会えた。そこで聞いた玉青の痛快人生はいつか紹介したい。豪雨のなかさぬき市の自宅から伊弉諾神宮に出かけると、不思議にお田植え神事の間は晴れ間さえ見え、再び豪雨のなか美術館へ。それでも行っただけのかいがあった。