潜伏キリシタン史跡が世界遺産に

2018年5月5日付 736号

 世界文化遺産への登録を目指していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について五月四日、ユネスコの諮問機関が「世界遺産にふさわしい」と勧告した。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教の信仰が禁じられた禁教期に、弾圧を受けながらもひそかに独自の形で信仰を続けた潜伏キリシタンの歴史を伝える遺産で、長崎県と熊本県の合わせて十二の資産で構成されている。
 ユネスコの諮問機関、「イコモス」は現地調査などを行った結果、すべての資産について世界遺産に登録するようユネスコに勧告した。今年六月から七月にかけて中東のバーレーンで開かれる世界遺産委員会で、正式に世界文化遺産に登録される見通し。登録されれば、昨年七月の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」(福岡県)に続いて、日本の世界文化遺産としては十八件目となる。

信仰と暮らし
 昨年十一月、長崎県平戸市で開かれた「世界連邦平和促進全国宗教者・信仰者 長崎・平戸大会」に参加した折、今もかくれキリシタンの人たちが住む生月島を訪れて知ったのは、彼らの生業である捕鯨が信仰を継続させた歴史である。当時の松浦藩は、大きな収益をもたらす生月島の捕鯨を守るため、幕府のキリスト教禁教に柔軟に適応した。その結果、宣教師が植え付けた信仰は禁教期にも維持され、現在に伝わったのである。
 平戸市のホテルで会った生月島に暮らすのかくれキリシタンの男性は、納戸の中に神棚と仏壇と聖壇が並立している様子を面白おかしく話してくれた。彼にとっては父祖たちが守ってきた信仰を継承することが大事だったのだろう。それは祖先崇拝につながる日本人の基本的感性で、そんな庶民感覚がキリシタンの信仰を守ってきたのである。暮らしがなければ信仰もなく、信仰があるから暮らしが守られる。そんな当たり前の人々の歴史を忘れてはいけない。
 『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(角川書店)で宮崎賢太郎・長崎純心大学名誉教授は、外国人宣教師がいなくなってから約二百三十年、潜伏キリシタンが守り続けたのはキリスト教ではなく、神道や仏教と習合した民族宗教であるとする。
 一方、『かくれキリシタンの起源』(弦書房)で平戸市生月博物館・島の館学芸員の中園茂生氏は、キリシタン時代の初期に信仰が定着した生月・平戸の信者は、幕府の禁教令よりかなり前から禁教状態に入ったことで、禁教以前のキリシタン信仰をそのまま保持しながら、あえて仏教や神道の信仰を受け入れたとする。両者ともフィールドワークに基づいた考察で、結論が対照的なのは、学者と学芸員の立場の違いからかもしれない。
 伝統的な日本人の神仏習合の信仰に、主体的に接近したのか、仕方なく装ったのか、同じ現象に対して異なる見解があるが、大事なのは、結果的に接近したから生き延び、土着したことだろう。外来の宗教が異文化に受容されるためには、そのプロセスが不可欠で、それに失敗すると衰退せざるを得ない。それはキリスト教が民衆の風俗と習合した韓国やフィリピンで盛況になった半面、宣教師が欧米の原則を堅持した日本では低調なことからも明らかであろう。
 宗教の目的は人々がその本性を発揮するのを助けることであり、その過程で形成された世俗的組織を維持するためではない。五百年前、教会経済のため贖宥状を発行するカトリック教会にマルティン・ルターが反旗を翻したのは、人々の自由を守るためである。いやその前に、彼自身の自由を守るためだったのかもしれない。

天草の教会と磁器
 今年四月、天草の教会をめぐり、信徒に守られながら、やはり少子高齢化で存亡の危機に瀕している実情を目の当たりにした。その意味では神社や寺と変わりない。
 その途中、焼き物の窯元があったので立ち寄った。白い肌に青いブドウが描かれた模様に引かれて買ったマグカップは、使うたびに手に馴染む。近年、焼き物が好きで天草に移住する若者が増え、熊本県内では天草市が一番多いという。白い磁器を見ながら、キリシタンの歴史がこの作品を生んだように思った。生月島のように、人々の暮らしと融合することで宗教も定着するのである。