インド源流の弁財天信仰

連載・神仏習合の日本宗教史(8)
宗教研究家 杉山正樹

サラスヴァティー

 楽曲や芸能上達の神として崇敬される弁財天。その原神は、川の流れの妙なる様を神格化した古代インドの女神サラスヴァティーである。サラスヴァティーは実在した河の名で、サンスクリット語で「水を持つもの」を意味する。川の働きが転じ、言葉・弁舌・智恵・音楽など、流れるものすべての「水の恵み」を神徳とする。配偶神はヒンズー教の創造神ブラフマーで、女神のあまりの美しさに魅せられ自らの妻としたという。ヴァーハナと呼ばれる神の乗り物(孔雀もしくは白鳥)に跨り四臂座像の姿で描かれる。一組の臂には数珠と経典、もう一組の臂には、琵琶に似たヴィーナと呼ばれる弦楽器を携える。
 弁財天にはサラスヴァティーの他に、美と富と豊穣と幸運を司るラクシュミーと呼ばれる女神が習合する。ラクシュミーは、ヒンズー教における天地創造神話「乳海撹拌」で誕生した女神である。蓮華色の目と肌を持ち、蓮華の衣を纏い維持神ヴィシュヌを配偶神とする。サラスヴァティーと同様に四臂を持ち、水連と瓶を携え金貨を放出する美しい姿で描かれる。
 ラクシュミーのヴァーハナは、物質的・精神的富を分け与えるウルカと呼ばれるフクロウで、このフクロウは、ラクシュミーの姉・アラクシュミーが化身したものである。アラクシュミーは醜い容姿であり、ラクシュミーとは正反対の貧困と災いをもたらす疫病神として描かれる。姉妹は常に一体で行動し、密教においてアラクシュミーは、吉祥天の妹・閻魔王の三后の一柱の黒暗天として伝わる。旧約聖書のラケル・レア、古事記の木花咲耶姫・磐長姫に共通する誕生奇譚を持つのが興味深い。日本に移入されたサラスヴァティーは弁才天、ラクシュミーは吉祥天と意訳され二天は習合し混淆する。サラスヴァティーが持つ財福に、ラクシュミーの幸運が加わり弁財天という表記が用いられるようになる。

宇賀神

 義浄訳『金光明最勝王経』を所依とする伝来当初の弁財天は、八臂を備え各々の手に武器を中心とする固有の持物を持つ形式であった。平安時代に至ると『大日経』を所依とし、二臂で琵琶を持つ形式がうまれる。『金光明最勝王経』は、奈良時代、聖武天皇が全国に配布し国家鎮護の経典として重んじた。弁財天は、川辺に居住する神、川・湖・池などに祀られると記される。二臂の弁財天は妙音弁財天に、八臂の弁財天は、日本古来の蛇神・宇賀神(由来は不明)と習合し、宇賀弁財天へと独自の展開を遂げる。その後、宇賀弁財天は蛇の頭を持つ天河弁財天という特異な形式へと発展、頭に宇賀神を載せ、八臂に弓・矢・刀・矛・斧・長杵・鉄輪・羂索の武器を持つ戦闘神として、国家守護を強調した異形となる。
 弁財天は、日本古来の神、宗像三女神の一柱、市杵島姫命とも習合する。須佐之男命の誓約から産み出され、玄界灘の海上守護に現れた宗像三女神は、日本と古代朝鮮を繋ぐ命脈の象徴として尊崇され、宗像の島々は航海の要となる。三女神の田心姫神と湍津姫神は、大国主の妻神となるが、市杵島姫命は弁財天と習合し、鎮護国家と仏法守護の神として祀られる。
 滋賀宝厳寺竹生島神社、広島大願寺厳島神社、神奈川江島神社は、日本三大弁財天社としてつとに著名で、吉野天河大辨財天社、金華山黄金山神社を合わせて五大弁財天社と呼ばれる。年に一度、6月10日には、竹生島で江島と厳島の弁財天が集って行われる祭礼「三社弁才天祭」が催される。筆者は、金山神社を除く4社に参詣したが、いずれも神仏習合の厳かな霊威を放ち印象が殊のほか強い。江島神社は、明治初年に徹底した神仏分離令が行われたと聞くが、辺津宮境内の「奉安殿」に宝蔵される八臂弁財天と妙音弁財天は、神宮寺時代に時間軸を戻す力がみなぎる。
 源頼朝の奥州藤原氏調伏のため、僧文覚が江の島に弁財天を勧請した。幕府成立後、弁財天開眼法要に臨席した北条時政は、島で祈りを捧げる。満願の夜、容姿端麗な女性が時政の前に現れ「子孫は末永く日本の主となって栄華を誇るであろう。但しその行い、天道に外れることあらば、栄華も七代以上は続かない」と告げて去ったという。時政が追うと女性は二十丈もの龍となり、海中に姿を消し、跡には大きな三つの鱗が遺されていた。不思議に打たれた時政がそれを紋にするべく旗に押しつけた。『太平記』には「北条家が家紋とした三つ鱗の紋がそれである」と記されている。
(2022年11月10日付 793号)