「隣人への愛」から「生命への畏敬」へ

連載・シュヴァイツアーの気づきと実践(15)
帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫

 戦争がヨーロッパで起きるであろうことを予期していたシュヴァイツァーは、アフリカへ持っていく現金を金貨で用意していた。危惧していた戦争は現実のものになってしまったが、金貨はそれなりに功を奏した。アフリカ滞在1年後、1914年のことである。
 第一次世界大戦勃発の衝撃は大きかった。闘っているドイツ、フランス、イギリスなどは、すべてキリスト教国家を自認しているではないか。「隣人への愛」を説くキリスト教が戦争に加担しているのだ。「ヨーロッパのキリスト教倫理は力を持たなかった」という認識は、シュヴァイツァーを倫理思想の探求へと押しやった。ヨーロッパの文化は病んでいる。いや、むしろ崩壊している。何とか倫理的に立て直さなくてはならない。
 ドイツ人であるシュヴァイツァーは、フランスの植民地であるランバレネで捕虜となった。しかし、フランス当局もシュヴァイツァーの献身的奉仕を高く評価していた。彼は軟禁状態のままで、医療奉仕をつづけることができた。同時に文化と倫理について模索し、書き始めた。
 翌1915年の9月、彼は診療のためオゴーウェ川をさかのぼっていた。文化哲学に集中するため、漫然と筆を運んでいた。と、突然、目の前にカバが大きな頭を川面に現した。その瞬間、今まで考えもしなかった「生命への畏敬」という言葉がひらめいた。この言葉に彼は興奮し、歓喜した。ここにこそ、没落しつつある文化を再建する力があるのではないか!
 キリスト教倫理の根幹である「隣人への愛」には、力がなかった。なぜだろう? ヨーロッパ社会での「隣人」は、親しい味方だけだったのだ。もちろん、これはイエスの教えた隣人ではない。イエスは敵国の人や、社会から見捨てられた人をも隣人として扱った。ヨーロッパのキリスト教は、隣人に枠をはめてしまったのだ。では、「愛」はどうだろう。
 この理解においても、違いが出た。人間的愛(一般にエロースといわれている)は変化しやすい。まず、愛の対象に飽きてしまうと、愛はうすれる。また、価値ある対象が価値を失うと、愛も消え去る。さらに、よりよい対象が現れると、愛はそちらに移ってしまう。人間社会によくあることだ。このような価値依存の愛ではなく、相手を徹底的に愛し抜く愛(アガペー)が求められる所以である。シュヴァイツァーは「隣人」を「生命(ドイツ語ではレーベン、英語ではライフ)」に、そして「愛」を「畏敬」に置き換えた。「隣人への愛」から「生命への畏敬」への転換である。この転換の意味、意図はどこにあるのだろう。
 シュヴァイツァーは、隣人が人間だけを意味することに問題がある、と考えた。痛み、苦しみ、破壊されるのは、人間だけではない。すべての「いのち」あるものが隣人ではないか。さらには、山川草木、「いのち」を生み出す大地、吹く風、作られた家や服や靴なども、大事な隣人ではないか。そのような隣人に向ける心は、移りやすい「愛」ではなく、その神秘さに畏れおののき、慈しまずにおられない、「畏敬」の念と行為である。
 「生命への畏敬」の倫理は、このようにして生まれ出た。この思想、すなわち、実践倫理を理論づけ、実践に移さなければならない。シュヴァイツァーはこの課題にのめり込んでいった。
(2020年9月10日付 767号)