粟島

2020年7月10日付 765号

 粟島に行ったのは、古い友人の父親が、島にあった海員学校の卒業生だったから。昨年、84歳で亡くなる前、小豆島オリーブ公園の近くにあるグループホームで話を聞いた。島は海で世界につながっていて、彼も外洋航路で世界各地を訪れていた。私は同じ香川県でも内陸の農村で育ったので、人生行路の落差に驚いた。
 粟島の浜で会った老人も同じで、兄弟のうち一人は船員になるのが普通だったという。定年で船を降り、島に帰ると、待ってましたとばかり地域の活動に組み込まれたのも、友人の父と同じ。船で培った能力が地域に生かされたのである。
 海員学校は今、海洋記念館として保存され、訓練を受ける少年たちの写真が展示されていた。古くは源平合戦で活躍した塩飽水軍の島でもあり、屋島から平家軍と逃れてきた安徳天皇も足跡を残している。
 粟島から須田港に帰り、三豊市の知人の案内で、藤原宮の造営に瓦を提供した窯跡を見学した。藤原宮はわが国初の最先端建築で、瓦を焼くため百済から瓦博士が招かれている。
 三豊市では古くから須恵器を焼いていたので、そこにも瓦博士がやって来て、窯を築き、焼き方を教えたという。出来上がった瓦は瀬戸内海から大和川を上り、藤原京に運ばれた。これも水運のなせる歴史で、水運史は歴史の大きな柱である。
 メディアで紹介され全国に有名な「天空の鳥居」「父母ヶ浜(ちちぶがはま)」は本紙ブログにアップしましたのでご覧ください。

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