うなだれる黒人像とゲオルグの針の言葉

シュヴァイツァーの気づきと実践(3)
帝塚山学院大学名誉教授 川上与志夫

 アルベルトは小学生のころ、馬車で半日もかかるコルマルという町をときどきおとずれた。そこには教育熱心な叔母がいて、ギュンスバッハの村にはない美術館もあった。コルマル行きは、アルベルトに別世界の刺激を与えるために母が仕組んだものだった。
 コルマルの公園にひとつの大きな銅像があった。銅像の主人公は、戦争で手柄を立てたブリュア提督だ。植民地時代のアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカの人を表す像が、提督の足元をとり巻いていた。それらの国で提督は大活躍をした英雄なのだ。とり巻きのひとりは横たわったアフリカの黒人像だった。上半身を少し起こし、ちょっとうつむいた顔はとても寂しそうで、目はうつろだった。
 「こんなに逞しい体をしているのに、どうしてこんなに悲しそうなのだろう?」
 アルベルトはこの黒人像に、つよい衝撃を受けた。偉そうにしている軍人、その足に踏みつけられているような黒人。この像はアルベルトの心をとらえ、彼はコルマルを訪れると、かならずこの黒人像に会いに行った。後年、彼がアフリカの黒人をその苦しみから救うために立ち上がった背景には、子どもの頃のこんな経験があったからだ。
 この銅像は今では公園に見られない。時代の移りにより、町の片隅に移されてしまったのだ。この銅像の作者フランス人バルトルディは、そのころアメリカ政府の依頼を受け、ひとつの巨大な像を作っていた。ニューヨークにある「自由の女神像」がそれである。
 ある日学校帰りに、アルベルトは体の大きなゲオルグとスモウをとった。だれもがゲオルグが勝つと思っていた。ところがアルベルトはゲオルグを押し倒し、その上に馬乗りになって首をしめつけた。するとゲオルグは、苦しまぎれに叫んだ。
 「おれだって週に2回、お前のように肉入りのスープを食べていれば、お前になんか負けはしないぞ!」
 その瞬間、アルベルトは押さえつけていた手をはなし、一目散に家に走った。
 ──そうか、彼のうちでは、ぜいたくな肉入りスープなんて食べられないんだ。世の中には衣食で困っている人が大勢いるのだ。ぼくは弱い人の味方になるぞ──
 当時、牧師の家庭は村の農民や職人たちの家庭より経済的に恵まれていた。アルベルトはしばしば坊ちゃんと呼ばれていたのだ。それがいやでたまらない。「ぼくは村の少年と同じでありたいのに……」。
 それ以来、彼は肉入りのスープを口にしなくなった。母が買おうとしたカッコいい水兵帽も頑としてことわり、田舎少年の帽子をかぶりつづけた。父のコートを仕立て直したオーバーコートも、無駄になってしまった。はじめは怒っていた両親も、やがて息子のやさしい心に気づき、かたくなな彼をそれなりに見守るようになった。
 ここに紹介したふたつのエピソードからも、繊細な「気づく心」と勇気ある「実践力」が、アルベルト・シュヴァイツァーの生涯をつらぬいていったことがうかがえる。
(2019年9月10日付 755号)