コーランにも論理的矛盾が
カイロで考えたイスラム(19)
在カイロ・ジャーナリスト 鈴木真吉
コーランの論理的矛盾については、預言者ムハンマド自身も「コーランの中に、互いに矛盾し互いに食い違っている章句があり、それが信徒の躓きのもとになっている」ことを自覚していた。
第3章5節には「アッラーこそはお前にこの聖典をくだし給うた御方、その中にはこの聖典全体の母体とも言うべき、文句のはっきりしたところと、それから別に曖昧なところがあって、心の中に邪曲を宿す者どもは、えてしてこの文義曖昧な方に取りつきたがり、それをもとにして異端騒動を捲き起こそうとはかったり、また自分勝手な解釈をこころみようとする。だが本当の解釈はアッラーだけが御存知」と記されている。人間には解釈の限界があり、神のみ正しい解釈が出来ると断じているのだ。
青柳かおる氏は著書『面白いほどよくわかるイスラーム』の中で、「聖典は絶対者なる神の言葉故に絶対だ、と見ることは、聖典研究の大きな壁になっている」と指摘している。これも短所の一つと言えよう。
イスラム世界では、キリスト教界のように聖典を批判的に分析することは許されない。ヨーロッパの研究者などが、コーランを神の言葉ではなく、ムハンマドの言葉として研究するとイスラム教徒からの批判を受ける。
これは素人考えかも知れないが、メッカ時代の啓示は、神の偉大性と恩寵、終末と最後の審判への警告、多神教徒や不信仰者への非難など、緊張と恐怖に覆われた内容が多く、警告的色彩が強いことから、いかにも、ムハンマド自身が直接、神からの啓示を天使ガブリエルを通じて受けたように思える。それに対してメディナ時代のものは、過去の預言者たちの物語や日常生活のあれこれの指示、結婚や商取引にも触れ、全体的に長く、冗漫な散文調の啓示で、メッカ時代のような、洞窟に籠って受けた啓示とは性質を異にするようにも感じられる。ムハンマドから直接出た言葉にせよ、果たして啓示として受けたものか、弟子たちの質問への答えなのか、後世の人々の編集によるものか、科学的な論証が必要とされる。メッカでのムハンマドは単なる預言者だったが、メディナではイスラム共同体の指導者であったことからくる相違だとの見方もあり、今後解明が待たれる。
数多い啓示宗教の中で、イスラム教が特別な使命を持つ宗教であることを論理的に説明する努力が求められよう。それが出来なければ、唯一アラブ民族が受けた啓示としての価値以外の何ものでもなくなる可能性がある。
ムハンマドがなぜ最後で最大の預言者と言えるのかも疑問である。コーランの部族同盟(部族連合章)40節に「ムハンマドは…預言者達の封緘である」とあり、最後の預言者であると示されている。最大とは言っていないが、次第にムハンマドへの個人崇拝化が進み、いつの間にか「最後・最高(最大)の預言者」と呼ばれるようになった。ムハンマドの言行録ハディースでは、「傑出した者たち」の17節などに最高の預言者との扱いが散見される。
コーラン43章61節には、世の終わりには再びイエスが来るとある。「本当にかれ(イーサー=イエス)は、(審判の)時の印の一つである。だからその(時)に就いては疑ってはならない。そしてわれに従え。これこそ正しい道である」と。更にその説明文(下欄の注23)には、「これは最後の日の審判の直前における、イーサーの再来に関して記されているものと理解される。そのときかれは、かれの名で行われている虚偽の教理を破棄して、唯一神の平和と福音、コーランの正しい道、イスラムの世界的受け入れのために道を整えるであろう」とある。なお、ハディースにはより明確な形で記されている。これらが事実なら、預言者ムハンマドが最後の預言者だということと再臨のイエスの関係はどうなるのかについても、明確な回答が求められよう。
記者が接したエジプト人のイスラム教徒の中で、イエスの再臨に関する預言の事実を知っている人は少ない。例外は、幼い時からアズハル(イスラム教スンニ派の最高権威機関)系の幼稚園、小学校、中学校等に通い、かなりよくイスラム教教育を受けたと自称していた女性で、「一般信徒はほとんど知らないが、私は徹底したイスラム教育を受けたので、イエスが再臨することは知っていた」と言う。祖父がアズハルのシェイク(イスラム指導者)だったとある国営新聞社に勤務の男性は、「イエスが将来再臨されることは祖父に教えられていた」と語っていた。イスラム教をよく知る人ほどイエスの再臨を知っている、というのが実態である。
(2019年9月10日付755号)