母の祈りの不自然とユダヤ人マウシェのほほ笑み

シュバイツァーの気づきと実践(2)
帝塚山学院大学名誉教授 川上与志夫

 5歳になったころ、アルベルトはふと不審に思った。弱い虫や小鳥も傷つき苦しんでいるのに、どうして牧師や母は人間のためだけにしか祈らないのだろう? みんないのちのある生き物ではないか……。でもこんなことはだれにも聞けない。だれもが当然のこととしていたからだ。
 これに気づいたのち、アルベルトはすぐに自分の思いを行動に移した。寝るとき枕元で母が祈ってくれたのち、自分なりの祈りをつけ足したのだ。
 「神さま、どうかすべての生き物をお守りください。虫も小鳥も安心して楽しく生きられるようにしてください」
 生まれたときアルベルトはあまり丈夫ではなかった。半年後、ドイツとフランスの国境にある、エルザス地方のギュンスバッハという村に家族ごと引っ越した。緑の豊かなこの辺りは農業や牧畜に適していた。しかし、政治的にややこしい土地で、ドイツ領になったりフランス領になったりしていて、アルベルトの生まれた1875年はドイツ領だった。
 エルザスの空気としぼりたての牛乳のおかげで、アルベルトはすっかり丈夫になった。親戚には牧師、教育者、オルガニストなどがいて、彼は宗教的、教育的、音楽的に、恵まれた環境に育った。3歳になると、教会の礼拝にもつれていかれ、牧師の祈りを聞かされた。寝るときには、母がベッドに寄りそって、感謝の祈りをしてくれたが、大人たちの祈りには何かが欠けている、とアルベルトは感じたのだ。
 外に出て友だちと遊ぶことが多くなった。ギュンスバッハの村を、ユダヤ人マウシェがロバを引いて通ることがあった。そのころのヨーロッパでは、ユダヤ人は嫌われ、馬鹿にされていた。子どもたちはマウシェを見かけると、後をつけながらはやし立てた。
 「ワーイ、マウシェ。ユダヤ人のマウシェ」「ユダヤ人なんかブタになれ!」
 からかったり、悪口をいったり、ブタの真似をしたり、わいわい騒ぎながら村はずれまでついて行った。マウシェはそれを無視したり、困った顔を見せたり、ときには戸惑いながらにっこり笑顔を向けるのだった。
 アルベルトも初めのころは、わけもわからないまま仲間と一緒になってはやし立てていた。ところがある日、すぐ目の前にいたマウシェのほほ笑みに圧倒されてしまった。
 「こんなにひどい悪口をいわれているのに、マウシェは笑っている! 腹を立てて怒鳴ったりもしない。悪口をいわれたら悲しいし、怒りたくなるのに……」
 アルベルトはマウシェをすごい人だと思った。それからというもの、彼は悪口の仲間入りをしなくなった。それどころか仲間たちに「そんなことはやめろよ」といったのだ。彼は仲間たちに馬鹿にされた。悪口もいわれた。それに耐えることができたのは、マウシェのほほ笑みがあったからだ。その後アルベルトは、マウシェと並んで、話をしながら村はずれまで見送るようになった。6歳から8歳のころのことである。
(2019年8月10日付 754号)

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