キリスト教「分裂と融合」の歴史

キリスト教で読み解くヨーロッパ史(3)
宗教研究家 橋本雄

キリスト教会の分裂
 ヨーロッパでカトリックの世界を旅すると、歴史と信仰の深さを感じさせる教会の荘厳さに圧倒される。バチカンの聖ピーター寺院の壮大さは圧倒的であるが、フランスの各地の教会も壮麗で美しい! プロテスタントの教会もシンプルなものから荘厳なものまで多種多様である。
 ヨーロッパ音楽の原点とも言える教会音楽が礼拝堂に響き渡るのを聞くと、誰もがなんとも言われぬ感動を覚えるのではないだろうか! 教会音楽は、歴史を通して人々を魅了し安らぎを与えている。
 東ヨーロッパ、そしてロシア・モスクワを旅すると、玉ねぎ型やヘルメット型の屋根のロシア正教会のエキゾチックな美しさもまた格別である。正教会堂の大小の鐘が奏でる音は、まるでオーケストラのように魅力的である。鐘楼をよく見ると、一人の司祭が手や足を使って極上の鐘の音のハーモニーを奏でている。
 ロシア「黄金のリング」地域にあるロシア正教会の木造教会群も素晴らしい。しかし、多くの日本人は「同じキリスト教なのにどうしてこんなに違うのか」と訝しがることとなる。
 宗教の歴史は分裂の歴史といって過言でない。仏教も大乗仏教と小乗仏教とに分かれたし、イスラムもスンニとシーアに分かれて闘争を繰り返してきた。キリスト教もその例外では無い。
 神は唯一でありキリストも一人なのに、キリスト教の宗派も多いのが現実である。特に大きな分裂は東方教会と西方教会に分裂した「大シスマ」(一〇五四年)である。その後、西方カトリック教会では宗教改革により、プロテスタントが分かれて行った。東方正教会も、各民族・国家の色彩を強く帯びて、ルーマニア正教会というように、各国の名前を付けた正教が拡大して行った。
 つい最近も、十月十一日に東方教会最高権威のコンスタンチノープル全地総主教庁が、ウクライナ正教がロシア正教から独立(分離)することを承認した。するとロシア正教会はコンスタンチノープル最高権威と断絶を宣言した。新たなる大きな分裂である。分裂の原因は様々だが、ウクライナ正教の場合は明らかに政治的対立がもたらした分裂である。宗教上の教理紛争から分離することもあるが、案外現実の利害が大きな要因となることも多い。
 東方教会と西方教会(カトリック)では様々な相違がある。教会堂、典礼、礼拝の形式、十字の切り方…挙げたら際限がない。これらの違いを乗り越え合同できるのであろうか? 東西教会の長が再び会ったのはつい先日、二〇一六年のことである。二月十二日、カトリック教会の最高権威である教皇フランシスコがキューバのハバナで、ロシア正教会の最高指導者キリル総主教と初会談した。東西教会の全てが一堂に会したわけではないが、東西教会のトップが歴史上初めて会見したのである。既に、大分裂から千年の時が流れていた。キリスト教が統合される日がいつかくるのであろうか?
ギリシャ文明との出会い
 宗教は拡大の途上で現地の信仰と文化習慣を取り入れるか否定するかで、大きな相違が生まれてくる。キリスト教の東西分裂はこの要因が大きい。イエス・キリストの十字架での死後、教えはユダヤ教的伝統を持ちながら、当時のローマ帝国即ちギリシャ文明の中に浸透して行った。
 その拡大の中で、ギリシャ文化の伝統を持つ知識層や人々にいかにイエスの教えを知らしめるのか、宇宙の根源である神を説明するかが大きな課題となった。その過程でキリスト教は、ギリシャ哲学や文化の影響を大きく受けることとなる。キリスト教神学を理解するにはギリシャ哲学の知識が不可欠となり、様々な神学論争が生じる素地が出来た。
 更にギリシャ世界に拡大する途中で、ギリシャ文明の伝統である聖像や聖画を盛んに用いるようになる。識字率が高くなかった時代に聖画を用いて宣教したのである。これもまたやむを得ないことだが、八世紀にイスラムが勃興して「聖像は偶像崇拝である」と非難されると、大きな論争を巻き起こした。一般に、聖像をめぐる論争からキリスト教の東西分裂は起きたと言われている。
 さらに、八〇〇年に西ヨーロッパを覆うフランク王国を建てたチャールズ大帝を、ローマ教皇が皇帝として祝福することも分裂の大きな原因となった。東ヨーロッパのコンスタンチノープルの権威を真っ向から否定することとなったからである。
 広大な多民族国家であったローマ帝国で、今日のように通信技術もない時代、キリスト教は相当に地域性を帯びながら拡大し、教会典礼や儀式に関しては長い年月を通して、分化(小シスマ)して行った。さらには地域や民族的利害関係が絡み合って、分裂は拡大することとなる。キリスト教の信仰は、これらの自然発生的な分裂を収拾することはできなかった。
土着の信仰と融合
 宗教の歴史は融合・統合の歴史でもある。どの世界的宗教もそうだが、拡大の過程で土着の信仰をどのように扱うかという大きな課題に直面した。土着の信仰を完全に無視し破棄すれば、当然反発を買い、宣教は困難となる。従って、受容できるものや融合できるものは受け入れ、巧みに教義や教会で典礼に組み込むこととなる。
 その一番いい例がクリスマスで、十二月二十五日をイエスの誕生日としてお祝いしているが、この日は正確に言えば「イエスの誕生をお祝いする日」である。十二月二十五日は当時、ローマ帝国で大きな信仰を集めていた太陽神ミトラ神の祝日(冬至)であり、キリスト教が柔軟に現地の伝統や習慣を受容してきた証である。
 いずれにせよ、宗教が一つになることは何と難しいことか!
(2018年11月10日付745号)