東大寺二月堂のお水取り

新春に若水で邪気払う/奈良市

二月堂の舞台からお松明の火の粉が降り注ぐ=3月1日


 「お水取り」として知られる奈良市・東大寺二月堂の「修二会」が3月1日から2週間厳修され、夜は二月堂の舞台に「お松明」の炎が燃えさかる。修二会は「練行衆」と呼ばれる僧侶たちが、国の安寧を願い修行する奈良時代からの行事で、今年で1273回目。
 燃えながら二月堂に登る「上堂の松明」は、堂にこもる練行衆の足元を照らす炎。1日午後7時ごろ、重さ約40キロ、長さ約6メートルのお松明を「童子」と呼ばれる世話役が担いで先導し、練行衆10人が入堂した。お松明が二月堂の舞台に上がると大勢の参拝者は炎を見上げ、童子は燃えさかるお松明を担いで舞台の端から端まで走り、舞台から突き出し、回転させ、無病息災をもたらす火の粉を浴びせる。
 二月堂の本尊は「大観音」「小観音」と呼ばれる二体の絶対秘仏の十一面観音像で、練行衆も見られない。二月堂の修二会の正式名称は「十一面悔過法要(けかほうよう)」で、本尊に対する悔過・懺悔は、自己の修行から国の救済と利益(りやく)につながる大乗仏教の考えに基づく。浄行する僧侶を選び、心身を清め、本尊に対して礼拝行を行い、1日6回本尊の周囲を巡り、礼拝する行を毎日繰り返す。
 十一面悔過法は古密教に神道、修験道、民間習俗や外来諸宗教の作法を今に伝えている。練行衆が2月28日に宿所に入る際には、咒師(じゅし)が神道式に「大中臣祓詞」を黙誦して御幣で練行衆を清める。
 3月1日の深夜1時からは「授戒」の儀。和上が食堂の賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)に自誓自戒した後、練行衆全員に八斎戒(殺生、盗みなど)を読み聞かせ「よく保つや否や」と問いかけると、衆は「よく保つ、よく保つ、よく保つ」と誓う。受戒が終わると、練行衆は「ただいま上堂」のかけ声と共に二月堂に上る。
 悔過法要が始まると、初夜では「神名帳」が読誦され、全国1万3700余所の神名が読み上げ呼び寄せられる(勧請)。3月5日と12日には過去帳が読誦される。東大寺に縁のあった人々の名前が列挙され、「大伽藍本願聖武皇帝、聖武皇大后宮光明皇后、行基菩薩」に始まり、孝謙天皇と続き、「不比等右大臣、諸兄左大臣」、鑑真は「伝戒根本大唐鑑真和尚」。変わったところでは、鎌倉時代の法要中に名前を読み飛ばされたのを怨んで出てきた女性の幽霊が、源頼朝の少し後に「青衣女人(しょうえのにょにん)」と読み上げられる。
 「咒師作法」は、咒師が須弥壇の周りを回りながら、清めの水(洒水)を撒いて印を結び呪文を唱える密教的な儀式で梵語も使われる。「達陀(だったん)の行法」では、兜のような「達陀帽」をかぶった練行衆が道場を清め、松明を持った「火天」が、洒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、飛び跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す。板に体を打ち付ける「五体投地」も行われる。
 観音様に供える「お香水」をくみ上げる「お水取り」は13日午前1時半ごろ、後夜の五体投地を中断して行われる。咒師童子が蓮松明を抱え、南側の石段を下って閼伽井屋(あかいや)に入り、香水を桶にくむ。香水は二月堂に運ばれ、須弥壇下の香水壺に蓄えられる。新春に若水で邪気を払う若水信仰が基盤にあるという。東大寺修二会は752年に始められて以来、一度も途絶えず、「不退の行法」とされている。