新年のご挨拶

本紙代表 石丸志信
2024年1月10日付 807号

 

 令和6年甲辰の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。皆様方も、神仏の御前にあって国家の安寧、衆生の救済、世界平和の祈りを捧げて新たな一年を出発されたことと思います。多くの人々も、年の初めには近隣の神社や仏閣へ初詣に出かけ、清く澄んだ空気の中で厳粛な心で神仏に手を合わせ祈っています。これは、人々の自然な宗教心の表れであり、この国の文化を支えてきた美しくも尊い伝統であろうと思います。
 昨年を振り返れば、国内外の情勢は決して平穏であったとは言えません。テロリストによって多くの人命が奪われました。各地の戦争あるいは紛争もいまだ収まる気配がありません。飢餓によって失われる幼い生命もあります。一方で我が国を取り巻く周辺諸国の動向も穏やかならざるものがあります。国内も不道徳で理不尽な事件や出来事が目につきました。公共精神が希薄になり、声高な自己主張だけが世論であるかのように取りざたされるのは、民主主義の根幹も揺るがしかねません。
 二千年前、ナザレのイエスは、人々に教えを説き、癒やしの業を行う忙しい日々の中でも、ひとり山に退き夜を徹して祈る時がありました。人類救済に努めてきた各宗教の開祖たちも、深い祈りを背景に驚くべき業を成し、多くの人々を導きました。彼らは、道を開くまでにも人知れず深き祈りと瞑想の日々を送り、あるいは難行苦行の期間を越えて得られた天啓を携え世に現れて、人々のため、また国家世界のために生涯を捧げてこられたはずです。俗世に生きる人々も、己の力ではいかんともしがたい困窮や困難に直面するとき、ただ祈るしかないことを経験させられます。そのような状況に立たされる人々にとって、先駆けて苦難の道を歩んだ宗教指導者の歩みが、どれほど力になるか分かりません。弱き者も先駆者の足跡をたどって行けば希望の門が開かれるからです。
 かつてイスラエル民族が奴隷のくびきから解放されエジプトを出て約束の地に向かう途上、夜は火の柱、昼は雲の柱が彼らを導いたとあります。その現象が一体何を意味するのか定かではありませんが、荒野を渡る「神の民」は、自然現象の中にも創造主なる神の働きを見出しました。たとえ目には見えなくとも苦難の道を共に歩む神の存在を感じながら、苦難を越えていったのです。これは一民族の歴史物語に留まるばかりか、今日の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
 内憂外患にさらされる国と民にとって、祈りがどれほど重要でしょうか。いかなる時にも人々の平安を祈る宗教指導者の存在がどれほど尊いでしょうか。宗教が軽視され、物質的なことに心を奪われがちな世の中にあってこそ、彼らの祈りが必要となります。3・11東日本大震災のとき「Pray for JAPAN」の呼び声のもと世界から届けられた祈りにどれだけ人々は励まされたことでしょう。国を憂い、民を慈しむ宗教者の祈りが、この国にはもう少し必要かもしれません。
 干支の甲辰は成長発展を意味する辰と物事の始まりを意味する甲の文字が合わさったもので、一粒の種が大地の栄養を充分に吸収して芽を吹き、すくすくと成長する様をあらわすともいわれます。また、これまで報いられることなく密かに積み重ねられた努力がようやく形となり実りがもたらされる時でもあると言います。
 これまで各地で人知れず祈ってきた誠実な祈りがあれば、これからは教派宗派の違いを超えて一つに束ねられ、荒野で彷徨する民の希望の灯となり道しるべとなるべきときかもしれません。こうして生まれてくる宗教者の祈りの束は、火の柱、雲の柱となり、天と地を結び幸運と繁栄をもたらす龍神のごとく、この国に新たな運勢をもたらすことになるのではないかと、初夢のごとき夢想をする年頭です。
 皆様のご多幸を祈りつつ挨拶に代えさせていただきます。