山が育んだ日本人の信仰

2023年8月10日付 802号

 今年は富士山が世界文化遺産に登録されてから10年の記念の年で、コロナ禍がほぼ収まったことから、内外の多くの人たちが登山を楽しんでいる。ユネスコ世界遺産委員会が「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」として認めたように、山容の秀麗さから日本の美を代表する富士山は、日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた。
 国土の7割が山の日本では、どこに暮らしても大抵は山が見える。農村では山を見ながら農作業にいそしむ人たちが、農閑期には命の水の源流である山に登りたい、霊気に包まれたいと思うことだろう。集落で霊感の優れた人は、冬の山で修行して霊力を蓄え、春には麓に下りて、人々の現世利益的な願いに応えてきた。漁師は山を目印に漁場を覚え、山は海の恋人と、海に注ぐ川の源流の山に植林する人たちもいる。

山岳信仰と神仏習合
 山岳信仰は世界各地にあるが、遠くから眺めるだけでなく、そこに入っていくのが日本の特徴とされる。信仰の始まりは、富士山や阿蘇山、鳥海山など、火山への畏れや地熱の恵みから火山に神がいるとするもの、白山など水源の山への信仰、恐山や月山、立山、熊野三山など、死者の霊が死後に行くところとしたもの、大神神社の御神体である三輪山や役小角が開いた大峰山など神霊がいるとされるものなどが多い。
 火山の場合、麓には温泉が湧いて湯治場があり、人々を憩わせている。農村では、田植えの時期になると山の神を家に迎える風習がある。人々は様々な行事やしきたりを通して、自然と一つになる時間を楽しんできたのであろう。それは、仏教以前のウパニシャッド哲学が梵我一如(自然と私が一体化)の境地を目指したのと同じで、それゆえ日本には仏教がインド以上になじんだ。縄文時代の昔から自然と共に生きてきた日本人には、梵我一如は日常の生活実感であり、特別な宗教的修行を要するものではなかった。それは今も変わらない。
 普遍宗教である仏教が日本に土着するのに決定的な役割を果たした最澄と空海が、いずれも若い時代、山での修行を求めたことはよく知られる。その過程で古来からの神々との融合、そして神仏習合は自然になされ、それが日本人の信仰の骨格になった。全ての存在に仏性を認め、その教えを中心に仏教を受容、発展させたのも自然の成り行きと言えよう。
 山岳信仰の山は高くなくてもよく、京都府笠置町にある笠置山は標高わずか288メートル。東大寺や興福寺での学びに飽き足らなくなった徳一は笠置山に籠って修行し、その後、東北での布教に大きな足跡を残した。京都市街からすぐに行ける東山のふもとにも、修験道の場がいくつもある。
 建築家で都市環境空間デザイナーの上田篤は、健全な都市には聖なる存在が見えることが重要だと述べたが、日本ではそれは山に当たる。山頂に雪を頂く山が見える地方では、残雪の形を目安に農作業をしてきた。各地にある駒ケ岳は、残雪に馬の姿を見たからという。祈祷寺の多くは山の中にあり、森と岩の醸し出す雰囲気が呪力を強めている。岩手山を眺めて育った石川啄木は、「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」と詠った。同じように、ふるさとの山を原風景のように心に留める日本人は多く、それが私たちの倫理を支える心性の一つになっている。
 日本の山が荒れてきたのは、農業で化学肥料が主流になり、まきの代わりにプロパンガスが使われ、安い外国産の材木が輸入され林業が衰退したからで、人々は山に入らなくなった。一方、レジャーやスポーツ、楽しみとしての登山は盛んで、現代人の暮らしに合わせた山との付き合い方を再考すべきであろう。例えば、観光と信仰を両立したような登山道の整備などである。山道が開かれれば、人々は山に入りやすくなる。
 
山に親しみ感謝を
 香川県綾川町にある滝宮天満宮には菅原道真に由来する念仏踊りが伝わっている。平安時代、国司として讃岐に赴任した道真は、干ばつに苦しむ民のために城山(きやま)の山頂で雨乞いの祈りをささげ、奇跡的に雨が降ったことから、喜んだ民が道真の館に押し掛け、感謝の気持ちを込めて踊ったのが始まり。それを、鎌倉時代に後鳥羽上皇の怒りを買って当地に流された法然が、念仏踊りに仕立てたという。地域の民にとって城山は水分(みくまり)の山であり、命の源であった。
 8月11日は山の日で、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」のが趣旨。山の霊気に包まれると、学ぶことも多い。便利さや効率、経済性優先の生き方を見直し、山をはじめ地域の自然環境を守るためにできることを考える一日としたい。