すべてを成長の相の下に見る
2023年4月10日付 798号
野球のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)は3月21日、アメリカ・フロリダ州での決勝戦で、日本がアメリカを3対2で破って3大会ぶり3回目の優勝を果たし、日本中を熱狂させた。
今大会のMVPに選ばれた大谷翔平選手は世界を驚かせた二刀流だけでなく、その振る舞いや言葉、考え方でも大リーグ野球を変えるとまで評価されている。
ピッチャーで4番という野球少年の夢を持ち続け、そのために日常的な練習と心身の手入れを重ね、世界一の選手になるためにアメリカに渡り、才能を花開かせつつある。感心するのは、逆境にあっても、それを自分の成長の一過程と捉えることで、そうした生き方が多くの人に感銘を与え、子供たちのロールモデルになっている。
「安い日本」
他方、バブル崩壊後30年にも及ぶ「安い日本」は、成長する世界から取り残されつつある。かつては人件費の安さを求め、韓国から中国、ベトナム、バングラデシュなどへと移った日本製品の製造工場が、現地の経済成長により限界を迎えつつある。そして、高い技術を持ちながら販売の伸びない日本の会社は外国資本に買われ、優秀な人材はヘッドハンティングされている。コスト削減→低賃金→消費の低迷という負のスパイラルを抜け出すには、外国資本との提携が一つの道という経済学者もいるほどだ。
日本が世界を驚かせた明治の近代化を宗教思想から見ると、西洋哲学が仏教に与えた影響が大きかった。最初に哲学を日本に持ち込んだ森有礼や西周、津田真道(まみち)、加藤弘之らは、旧来の封建的な体制を打破し、合理的な国家を形成する理論と考え、一種の社会改良的な思想と捉えていた。彼らが主に傾倒したのは、ミルやコントなどイギリスやフランスで流行していた功利主義や実証主義である。
それが明治10年代からドイツ観念論哲学が、大学を中心に熱心に議論されるようになる。その流れを作った中心人物が、25歳で東京大学に赴任したフェノロサである。政治学、経済学と共に哲学史を教えた彼の講義は、デカルトに始まりカント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルと続き、特にヘーゲルの哲学とハーバート・スペンサーによる進化論の哲学を高く評価していた。現代の仏教は明治期に西洋哲学によって見直され、明治の近代化を支えてきた仏教であることを忘れてはならない。(碧海寿広『入門近代仏教思想』ちくま新書)
スペンサーは明治の日本に最も大きな影響を与えた思想家で、30冊以上の著書が翻訳された。当時、盛り上がっていた自由民権運動にぴったりの思想だったからで、彼の『社会平権論』は板垣退助が「民権の教科書」と賛辞したほど。ダーウィンとほぼ同時代の彼の社会進化論は、帝国主義の植民地支配を正当化する理論などに用いられたため評判が悪いが、星雲の進化から生物進化、人間・社会から思想・道徳の進化まで論じており、その多くは科学的、歴史的にも正しい。
近代科学の発展に伴いバラバラになった知の世界に全体性を回復させるため、生物学者のハックスレーは「全てを進化の相の下に見る」ことを提案している。彼に近く、生前に交流もあったのがフランスのイエズス会司祭で、古生物学者として北京原人を発掘したことでも知られるテイヤール・ド・シャルダンだ。進化論者の彼は、神学と矛盾しない進化論を唱えたが、生前での出版は教会から許可されず、没後、友人らにより『現象としての人間』が刊行された。
テイヤールの思想は、現象は決して静止したものではなく、常に過程であり、宇宙は全体として巨大な一つの過程であるとするもの。そして、生物圏の上に重なり、人間化を推進する変化の主体として精神圏という新語を作っている。
「進化の相の下に」というのは、17世紀に汎神論を唱えたスピノザの「永遠の相の下に」のもじりで、後者が、神の視点から、すべてを必然として認識することを意味したのに対して、神の視点から見ても、すべては進化・発展の過程にあるとする。創造者としての神も、被造物としての宇宙も、共に進化・成長しているのである。
過去と未来と今
スピノザとテイヤールの違いは世界の見方に時間軸を入れたことで、それにより世界は絶えざる変化の状態にあるとした。時間は過去から現在、そして未来へと流れるものではなく、過去と未来は現在に集約されている。それが神道の「中今の思想」であり、仏教の「今を生きる」であろう。
古来、好奇心旺盛だった日本人には成長への強い願望があり、変化を恐れない勇気もある。その原動力は、親鸞の二種回向にあるように、阿弥陀如来の心になり限りなく人々に尽くすことで、それが明治の近代化を支えた日本的資本主義の倫理の一つだ。一人ひとりの成長が社会を進化させるのであり、その意味から宗教の役割も見直したい。