鞍馬寺護法魔王堂の「尊天」

連載・京都宗教散歩(7)
ジャーナリスト 竹谷文男

鞍馬寺本殿

 鞍馬弘教の鞍馬寺本殿には、本尊である「尊天」すなわち、毘沙門天、千手観世音、そしてサナート・クマラと称する護法魔王尊が秘仏として収められている。開帳されるのは60年に一度、丙寅(ひのえとら)の年のみであり、次は2046年だ。ただし秘仏厨子の前には「お前立ち」と称する、代わりの像が常時安置されている。このお前立ちの「魔王尊像」は、背中に羽根が生え、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高く、光背は木の葉だという。天狗の出で立ちに似ていると言えよう。
 鞍馬寺の寺紋は護法魔王堂の垂れ幕に描かれているように、「太い線で描かれた円と、その内側に同心円状に細い線で描かれた円と、これら二つの円の内側に羽を広げたクジャクのような紋様」である。この特徴のある寺紋は、鞍馬弘教において三身一体の「尊天」である「日輪と、月輪と、魔王尊」を象徴したものではないだろうか。すなわち太線の円が日輪を、細線の円が月輪を、そして中に描かれた羽を広げたクジャクのようなデザインが護法魔王尊を象徴しているのではないだろうか。そうであれば魔王尊はクジャクの姿で象徴されていることになる。
 この寺紋に象徴されるような崇拝対象、あるいはそのシンボルを持っている宗教を考えてみると、イスラム教よりもはるか以前、古代オリエント世界で生き続けているヤズィード教が思い浮かぶ。ヤズィード教徒は現在でも特にクルド族に多く、近年ではイスラム過激派ISによって虐待されたことで、その名が世界中に知られるようになった。

鞍馬寺の寺紋

 ヤズィード教は「太陽神シャマシュ、月神シン、そしてクジャクの姿をした天使マラク・ターウース」を崇拝し、中でも重要なのは「クジャク天使・マラク・ターウース」である(ジェラード・ラッセル著『失われた宗教を生きる人々』亜紀書房、87〜96ページ)。つまり「太陽、月、クジャク天使」の三つを崇拝していて、現代でもヤズィード教徒が金のクジャク天使を崇拝している姿が報じられている(前掲書115ページ、写真)。
 両教を比べてみると鞍馬弘教の「尊天」は「日輪、月輪、そして寺紋に現れたクジャク様の護法魔王(サナート・クマラ)」であるのに対し、ヤズィード教では「太陽神、月神、そしてクジャクの姿をした天使(マラク・ターウース)」である。
 このようにユーラシアの東西に存続している古代からの宗教で、崇拝対象のシンボルが酷似しているのは偶然だろうか。心理学者カール・グスタフ・ユングの言葉を借りるならば、人々が共通して持っている普遍的無意識(集合的無意識)からは、民族や時代を超えて同様のシンボルが現れ出るものなのだろうか。あるいは、かつて渡来人が山城国に入ってきた時代に、オリエント由来の人々がこの地に入ってきたのだろうか。それとも渡来した人々の文化や宗教が、ユーラシアの人々に共通する潜在意識を媒介として、日本において習合したものだろうか。
 もしも、ヤズィード教徒やその流れをくむ人々がここに入ってきたとすれば、その時期はいつ頃だったろうか。これについては、鞍馬寺に隣接する貴船神社の社が最初にできたのが反正天皇の時(約440年)と伝わることを基にして、クジャクの羽ならぬ“想像の翼”を広げてみよう。

金のクジャク天使に口づけするヤズィード教徒(『失われた宗教を生きる人々』より)


 応神天皇が朝鮮半島で高句麗の広開土王と戦っていたころ(約400年)、秦氏の弓月君(ゆづきのきみ)は、120県もの大勢の臣民を引き連れて日本に渡ってきた(『日本書紀』応神天皇14、16年条項)。当時、東アジア全域は「五胡十六国の乱」と言われた大動乱時代であって、黄河・長江に挟まれた中原地方に住む漢族だけでなく、中央アジア、西アジア、満州由来の多くの民族が戦乱を避けて、ユーラシア東端の日本列島に逃れて来た。弓月君が人々を率いて渡来したのはその代表例だった。
 この時、弓月君が率いてきた人々は単一の民族ではなく、戦乱によってアジアの各地から逃げざるを得なかった様々な民族の人々だった。弓月君が率いたのは言わば「混成移民集団」だった。例えば秦氏の根拠地の一つ太秦には、ネストリウス派キリスト教の三位一体を表すかのような三柱鳥居が立っていたり、太秦の広隆寺にはミトラ教の祭祀のような「牛祭」が残っていたりする。それらは海を越えてやって来た「異教的なるもの」の痕跡である。この混成集団の中にオリエント由来のヤズィード教徒、イラン由来のゾロアスター教徒、五芒星のシンボルを持ち天文学に秀でた秘教集団・ピタゴラス教団、あるいはイラク地方のマンダ教徒などが含まれていたとしても不思議ではない(前掲書参照)。
 ユーラシアの人々が潜在的に抱えている基層的な心象は、水と樹に恵まれた豊かな日本の風土に触れたとき、その普遍的な潜在意識を介して、日本の風土において矛盾なく習合した形で発露するのではないだろうか。
(5月10日付 787号)