自然とともにある1年

2021年12月10日付 782号

 ほぼ毎朝、日の出前から犬と散歩していると、夏から冬に向けて太陽が南に移動するのがよくわかる。仲間と耕作している田んぼを眺めながら歩き、草刈りや草や木、水路のごみ・泥揚げなど必要な作業に思いを巡らせる。1週間前にまいた小麦が芽吹き始め、雨のため遅れている小麦まきを心配する。
 近くの小学校の通学路沿いに、今年初めてマリーゴールドを植えた。感心したのは半年近く花を咲かせてくれたこと。先日、枯れた花を抜き集め、そのあとに腐葉土を入れ、パンジーとキンセンカの苗を植えた。5月ころまで楽しませてくれるだろう。苗は、道の駅などに出荷している隣の婦人から買うので、ささやかな収入にもなる。「来年からきちんと花の計画しましょう」と言われた。
 師走には神社の掃除をし、しめ縄を新しくする。草を刈り、落ち葉を集めながら、新年を迎える準備。今年は落ち葉で腐葉土を作り、通学路に敷くつもり。気がつけば、あっという間に一年が過ぎ去る。加齢に応じて時の流れを速く感じるのは、感動が少なくなるからとの説があるが、むしろ逆で、楽しいことが多いからそうではないか。
 飯島太千雄の『若き空海の実像』(大法輪閣)に、密教は仏教の前からの宗教で、それが仏教の形を借りて再び現れた、とある。人間の霊性とはそういうもので、日本では自然にはぐくまれた神道がそれ。コロナ禍は、そんな人と自然とのかかわりを再考させてくれた。死は進化の結果という生物学的死生観も、その先にある。

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