現代京都藝苑の展覧会とシンポジウム

「悲とアニマII〜いのちの帰趨」

献華式で花をいける池坊専好師

 現代京都藝苑実行委員会が主催する現代美術の展覧会とシンポジウム「悲とアニマⅡ〜いのちの帰趨」が11月、京都市内で開かれた。コロナ禍で近代文明の脆弱さが浮き彫りになり、人々が不安に包まれる今、生の充実は死と向き合う中にあり、そこから日本の伝統的な感受性が現代に現われるとの観点から、東日本大震災から10年目の本年実施された。作品は11月19日から28日まで、市内の建仁寺塔頭・両足院とギャラリーThe Terminal KYOTOで公開され、シンポジウムなどのイベントも開かれた。宗教学者の鎌田東二京都大学名誉教授らが監修し、美術評論家の秋丸知貴上智大学グリーフケア研究所特別研究員らが企画した。
 展覧会の第一会場、建仁寺塔頭・両足院は「彼岸」を、第二会場は「此岸」を象徴したという(鎌田氏)。展覧会に先立ち11月18日、華道家・池坊専好師(次期家元)が、両足院本堂で献華式を行った。仏間には、花をアレンジするための黒い木の枝が空中に伸び、床には、くり抜かれた丸太にわら束が詰められた花台が置かれた。
 専好師は、花台から離れたところに立ち、南天の実の付いた枝を立ったまま受け取り、枝に近づき、乗せるようにしていけて行く。受け取り歩み、いけるという繰り返しによって、南天の緋色の実が、鮮やかに空間に広がって行く。
 最後の一刺しは常緑の松の小枝で、専好氏は、本展の監修者であり神道家でもある鎌田氏に「委ねることによって、日本の優しさ、感受性を表現したかった」という。鎌田氏は、その松の小枝を受け取り、束ねられた丸太の中のワラ束に刺して、完了した。
 丸太に詰められたわら束に刺された松の小枝は、広がった緋色の南天の実を背景に、生への意思を天に伸ばそうとするかのようだ。緋色の激しい壮年の時を終え、老いを象徴するわら束の中から、再び新しい緑の生命が生みだされるような。
 本展覧の作品は、彫刻、絵画、写真等で、大舩真言氏の「WAVE #128」、近藤高弘氏の「真なる金」、鎌田東二氏の「合一」、勝又公仁彦氏の「再び森が薫る」、岡田修司氏の「水辺76」、池坊専好師の「巡り──いのちが去り」、松井紫朗氏の「大黒」、入江早耶氏の「青面金剛困籠奈ダスト」、大西宏志氏の「TSUNAMI 2021」、小清水漸氏の「雪のひま」、関根伸夫氏の「位相」、村井修氏の「関根伸夫《位相・大地》1968」、成田克彦氏の「SUMI」、吉田克朗氏の「触」などである。
 シンポジウムの一つが「宗教信仰復興と現代社会」をテーマに21日、両足院で行われた。参加者は鎌田氏のほか、島薗進東京大学名誉教授、水谷周・一般社団法人日本宗教信仰復興会議代表理事(日本ムスリム協会理事)、加藤眞三慶應義塾大学名誉教授(内科医)、弓山達也東京工業大学教授、およびコメンテーターとして伊藤東凌・建仁寺両足院副住職、企画者の秋丸知貴上智大学グリーフケア研究所特別研究員(美術評論家)、作品出品者の大舩真言氏も加わった。
 島薗氏が司会を務め、①宗教信仰復興とは何か、②今、宗教信仰復興がどういう風に起こっているか、③どんな宗教信仰復興が望まれるか、④私たち一人一人にとって宗教信仰復興とは何か──という観点からディスカッションが行われた。
 シンポジウム参加者から展覧会の作品について、「『彼岸』と『此岸』の両方に脚を跨いで立つ姿は信仰そのもの。信仰とはこの世の事がらをあの世の脈絡で読むこと」(水谷氏)、「アーティストが作品を作る場合、仏様や神様のような大いなるものから『作らされている感』もある」(弓山氏)とのコメントがあった。