汝に好物を賜う

2021年7月10日付 777号

 石垣島に暮らすアメリカ人のワイコフさん夫妻が、もう一つの自宅がある久留米市にしばらく滞在するというので、出版社の友人と訪ねた。アメリカ風のロゴハウスで、石垣島の自宅とは違い日本の大工が手掛け、主な柱にはH鋼が入っているという。
 乗り換えの博多で金印「漢委奴国王」を見に福岡市博物館に行った。面白かったのは、古墳時代、飛鳥時代などという政権のありかを軸にした時代区分ではなく、奴国(なこく)の時代、鴻臚館の時代、博多綱首(こうしゅ)の時代など、福岡の人たちの生き方を軸にした区分だったこと。
 西暦57年、後漢の光武帝が「倭奴国」の使者に印綬を与えたとされる金印が、江戸後期の1784年、志賀島で発見された。絹の長い紐の「綬」は発見されていない。福岡藩の儒学者・亀井南冥が、この印を上記の印と推定したのは、当時の学問レベルをうかがわせる。
 当時、北部九州の有力な王たちが、朝鮮や中国に使者を送り、交流していたことは、中国系の鏡や貨幣の発掘から分かる。その後、2世紀後半の「倭国大乱」では、邪馬台国の女王・卑弥呼を共通の王に立てることで収まり、卑弥呼も中国の魏に使者を送って、金印「親魏倭王」を与えられている。
 魏の皇帝は卑弥呼に「汝に好物を賜う」として銅鏡100枚も下賜している。その銅鏡は中央と地方の王権を結ぶ宝器として活用されたのだが、文書行政の基本である印綬より銅鏡を喜ぶ卑弥呼を皇帝は不思議がり、上のような言葉を残したという。日中の文化の違いが興味深い。