新年のご挨拶

本紙代表 石丸志信

湯島天神の牛

 令和3年辛丑(かのとうし)の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。
 21世紀に入って早くも20年の歳月が流れ、本年は新たな10年の始まりとなります。昨年は、世界中がコロナ禍に見舞われ、艱難辛苦の一年でした。そして、迎えた新春の朝、厳粛な気持ちで澄み渡る天を眺めていると、平穏な心が戻ってきます。遠目に秀麗な富士の頂きが望める時は、泰然としたその姿に魅せられます。変動する世の中をじっと見つめる不動の存在があることを思い出させ、その方への畏敬の念を強く抱かせてくれます。静かに手を合わせてみれば、苦難の後には必ず慰めと癒しの時が訪れると信じることができるのです。
 「辛丑」は古いものが枯れ果て、新しいものが生まれてくるという意味だといいます。花は枯れ、実を結び、良き地に蒔かれた種子が新たな芽をふく時。新しい歴史の躍動は、目に見えないところで起こります。未だ表面には顕れない創造的な変化の胎動に期待を寄せながらこの一年を健やかに過ごしていきたいものです。
 振り返れば、東日本大震災から今年でちょうど10年。日本壊滅かと思われるほどの災害に遭遇し、多大なる犠牲者の群れに多くの涙が流れました。そんな、震災当夜、津波を辛うじて逃れたビルの屋上で、寒さと恐怖で震える人々の目に映ったのは、満天の星々の輝きでした。その美しさに心奪われ、自らが置かれた絶望的な状況も忘れさせるものだったと言います。神仏の懐に抱かれる安心感とでもいえるのでしょう。
 同じ夜、避難所にいた20歳の学生が立ち上げたWebサイト「Pray for Japan」に多くの投稿が寄せられました。海外からの応援メッセージ、日本で起きた心温まるエピソードが次々に紹介されていきました。世界中の人々の「祈り」の花束が苦難の中にいた日本の私たちに届けられ、隣人の友愛を感じました。
 隣国からは、「日本のために祈っています。一つだけである地球、そしてその中に住んでいる私たちは皆家族です。心が痛くてずっとなみだが出ます。しかし希望はそばにあります。」(『PRAY FOR JAPAN』講談社、2011)とのことば。この一言がどれほどありがたく、人々を勇気づけたことでしょう。
 「神と人」、「人と人」の「絆」が強く意識された時でした。密を避け、人との間合いを保つ状況下で、もう一度そのことばの大切さを思い起こします。
 聖書の「詩編」はユダヤ教の「賛美歌」です。折々の礼拝で歌われてきました。それは、創造主なる神のことばに対する人間の応答です。ところがよく見ると、多くの詩は嘆きに始まりやがて賛美へと変わります。苦悩する魂のうめき声が、いつしか頌栄に変わるのです。その変容は、創造主なる神と真っすぐに向き合い、思い・ことば・行いのすべてを包み隠さず打ち明けることで起こるようです。神と人とを隔てていたわだかまりが消え、信頼の絆が回復する時、新たな生命の息吹を受けて、苦しみは消え去り喜びがあふれてくるのです。
 世界の人々が苦難の中にある今こそ、神と人との間を執り成す宗教者本来の役割を果たす時なのでしょう。この国に住む人々のために、世界の人々のために、そして創造主なる神のために祈りを捧げていきたいものです。Pray for Japan! Pray for the World! Pray for God! 皆様のご健康とご活躍を祈念し、新年の挨拶に代えさせていただきます。