医療活動への批判・非難とそれへの答え
連載・シュヴァイツアーの気づきと実践(20)
帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫
医療活動の問題2:シュヴァイツァー病院では、患者が入院するとき家族も遠く近くからやってきて病院の敷地内に寝泊りするのだった。火を焚いて料理もされた。当然、敷地内は乱雑で不衛生になった。批判者はここに目を向けたのである。文明社会から見れば、当然の批判である。シュヴァイツァーはなぜそんなことを許していたのだろう。
当時のアフリカには、まだ部族間の対立があった。患者はあらゆる地方から来ていた。彼らは他の部族民を信頼しない。場合によっては毒殺されることをも危惧していた。家族の調理した食べ物なら安心だ。家族に守られていれば、夜も安心して眠れる。部族間の不信と呪術に生きていた彼らにとって、家族といっしょにいることは薬に勝る治療法である。現地人を深く理解したシュヴァイツァーは、患者に故郷と家族の安らぎを与えたのである。
医療活動の問題3:以前にもちょっと紹介したが、病院における施薬方法も問題視された。診察を終えた患者は建物に沿って、10人から15人、一列に並べさせられた。そこに看護婦が現れ、ひとりひとり口を開けさせ、薬を飲ませたのである。文明社会では幼児にするしぐさである。薬は患者によって異なる。しかも、水までコップに用意して与えたのである。何と面倒なことをしているのか。現地人を馬鹿にして幼児扱いするシュヴァイツァー。彼は看護婦が足りないとぼやいているが、これでは何人看護婦がいても足りないわけだ。非難はシュヴァイツァーの病院経営にも向けられた。
はじめの頃、シュヴァイツァーには痛い失敗があった。薬を与えた患者に、しばしば異変が見られたのだ。調べてみると、すぐに分かった。患者の中には、3日分の薬を、指示されていたにもかかわらず、9回分の薬をいっぺんにのんだり、2─3回で飲んだりする者がいたのである。しかも、井戸水ではなく、不衛生な川の水をそのまま使う患者もいたのだ。薬はいっぺんにのんだほうが効く、というのが彼らの考えだった。これはまったく危険な行為である。これに気づいた看護婦やシュヴァイツァーは、面倒ではあるけれど、ひとりひとりに口を開けて浄水でのませることにしたのである。
医療活動の問題4:批判や非難は、病院病棟にも向けられた。病室があまりに粗末であることだ。文明社会人であれば、こんな不衛生な部屋に入院するのはまっぴらだ。素人が建てた急ごしらえの建物には、蚊やハエや虫などが入り込む。トイレも穴を掘ったところに垂れ流しだ。これが清潔であるべき病院の入院室か。寄付金が集まっているなら、もっとましな病棟にするべきではないか。
この非難も、現地の状況や現地人に対する無理解に起因している。現地では敷地の拡張、伝染病棟の建設など、資金はいつも不足がちなのだ。病人の入院室がかなり原始的なのは、病気が治癒して故郷に帰れば、彼らはもっと原始的な生活に戻らなくてはならないのだ。高度に文明化した病院では、患者の心は落ち着かない。しかも、故郷に戻っての違和感が耐えがたくなる。シュヴァイツァーは現地人の生活になるべく沿った治療や看護をしたのである。
(2021年2月10日付 772号)