祈りと奉仕でグローカルに

黒住宗道教主、黒住教の社会福祉活動を語る

黒住宗道教主

 新型コロナウイルスの感染拡大防止のため宗教団体も自粛が要請されるなか、宗教活動の在り方が問い直されている。教派神道の一つである黒住教は、岡山県を中心に地道で多彩な社会福祉活動の歴史を重ねてきた。黒住教における社会福祉活動の意味を、黒住宗道教主に伺う。(多田則明)
 ──今朝の「ご日拝」はいかがでしたか。
 曇っていましたが、ちょうどお日さまのところだけ雲が切れ、ご日拝の時間はまさに日の出の一大ページェントが繰り広げられました。その後、また雲の向こうにお隠れになりました。
 今朝のような日の出を拝するたびに、「高天原とは場所ではなく時間ではないか」と思います。長い縄文時代の末期に稲作が伝わり、安定した生活を送ることができるようになった弥生時代の幕開けのほんのしばらくの間、時期も場所もそれぞれでしょうが、確かに人々の純粋な共同・協働生活による至福の時が各地で展開されたと思います。後に土地をめぐる争いの時代になって、“あの頃”を神々が働いた時間として、後世の人たちが懐かしみ、憧れるように「高天原」と呼んだのではないだろうかと。そうした喜びというか生命の賛歌が、神道の祈りには込められていると思います。
 ──黒住教は社会福祉活動に熱心で、昭和21年に戦災孤児を収容する天心寮を開いています。
 岡山を代表する社会福祉活動家の山本徳一医師が、5代宗和教主の理解と協力を得て開設しました。山本先生は大正5年から6年間、黒住教由津里教会所(現岡山県赤磐市)の所長を務めた方です。今の赤磐市に生まれ、大阪、東京で苦学して明治31年に医師になり、親と村人の要請を受け由津里に医院を開きました。東京では日本基督教団本郷教会の牧師であった海老名弾正師(後の同志社大学総長)とも交流があったそうです。
 当時の農村は衛生状態が劣悪で、高い乳児死亡率の改善を決意した山本先生は、生涯を幼児の救済に捧げます。大正4年には地元の協力で「母の会」を設立し、妊娠中や出産時の心得、乳児期の衛生など熱心に指導し、県平均を大幅に上回っていた乳児死亡率を、4年後には平均以下にし、農繁期には託児所を開くなどの活動を展開しました。
 戦後の昭和21年、宮中で社会事業御下問の光栄に浴した先生は、宗忠神社にお礼参りした折、宗和教主と会い、語り合う中で戦災困窮児に話が及び、「黒住教天心寮」を開設することになったのです。それが現在の社会福祉法人鳥取上小児福祉協会天心寮です。当初は教団の全面的な後援で戦後の混乱期を乗り切り、昭和24年の児童福祉法の実施で助成金を受けるようになり、運営も安定しました。
 現在は、保護者のいない児童や虐待を受けた児童を預かる児童養護施設で、教団では「ありがとうございます運動」の浄財を通して支援を続け、私は評議員を務めています。
 ──黒住教の始まりは、流行り病で父母を相次いで亡くした悲しみから病に伏した宗忠教祖が、文化11年(1814)11月11日、冬至の日の出を拝む中で天照大御神と一体になるという体験をしたことです。これが「天命直授」で、この日が立教の日。以後、宗忠教祖は宗教活動の一環として病気治しも行っています。
 よく知られている逸話の一つに、ハンセン病患者に祈りを込めて、本復のおかげを取り次いだことがあります。
 故郷を離れた男の患者が流れて岡山に来た時、「西に行けば黒住様という生き神様がおられて、おまじないを受けるとどんな難病も治る」と言われ、宗忠の家を訪れたのです。
 哀れな男を見た宗忠は、「よくぞお出でになりました。さあ、お上がりなさい。おまじないをいたしましょう」と言って、神前の部屋に通し、お祓いしてから丹念に祈りを込めました。無意識のうちに手が患部に触れ、うみが顔についても気にせず、汗だくになってまじないを続ける姿に、男は感動し、泣き崩れました。一念の祈りが通じ、やがて病は完治し、男は感謝しながら帰っていったそうです。
 天命直授の直後に眼病に苦しむ人々を治した記録もありますが、天地のことわりを伝えるのが役割と考えていた宗忠はそうした行為には控え目でした。しかし、「人助けになるのなら…」と応じて、病治しを入り口として心を直す道を説き導くようになりました。
 こうした歴史から、黒住教では「祈りと奉仕」はセットです。人知を超えた災害に見舞われると祈るしかありません。祈りは人間を超えた大いなる存在、神や仏に対するもので、それが実生活の行動に反映されるのが奉仕です。日頃から祈っている黒住教の「お道づれ」(信徒)は、奉仕活動にも熱心なのです。
 ──内外のバランスが人を育てるのだと思います。
 大学でボランティア論を講義することもありますが、すべて実践の中から学んだことです。被災者の方々のためにやっていると思っていたが、結局は自分にとって何物にも替えがたいおかげをいただいたということばかりです。(3面に続く)