モデルに倣う

2020年5月10日付 763号

「フィリポが、『主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足します』と言うと、 イエスは言われた。『フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、「私たちに御父をお示しください」と言うのか。私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない。父が私の内におり、その業を行っておられるのである。私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。』」(ヨハネ14:8─11)
 福音書にはイエスが最後の晩餐の席で弟子の問に答えたことばが記されている。イエスは、創造主である神と被造物である人間は本来親子である、との理解に立っている。創造主を「アバ、父よ」と呼んだイエスに、弟子は父を示してほしいと願った。イエスの答えは、「神のひとり子」を見よ、だった。神の似姿である真の人の思い、言葉、行いに創造主の姿が映し出されている。そのモデルに倣うのが人の生き方だというのだ。(I)