「麒麟がくる」

2020年2月10日付 760号

 2週間遅れで1月19日、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が始まった。明智光秀の記録の初出は越前に来てからで、光秀は約30歳から10年間、越前の称念寺を拠点に諸国を流浪しながら、情報を集め、医術や武術、砲術を学んだ。その光秀の旅を支えたのが、時宗や修験道のネットワークである。
 美濃で斎藤道三に仕えていた光秀は、道三に対立した息子の義龍に明智城を落とされ、越前に逃れてくる。そして身を寄せ、門前に住み、寺子屋を開いたのが、住職が知り合いだった時宗の称念寺。
 同寺は白山を開山した奈良時代の修験僧・泰澄により、天正天皇の勅を得て721年に創建されたが1290年、他阿真教により時宗に改めさせられた。境内に新田義貞の墓所があるのは、1338年に越前国藤島の燈明寺畷の戦いで戦死した義貞の遺骸を、時宗の僧が同寺に運び葬ったからで、以後、同寺は後醍醐天皇に忠誠を尽くした義貞の寺として栄えた。
 ドラマで負傷兵を治療する僧の姿があったが、時宗の僧だろう。光秀が称念寺の住職と知り合ったのも戦場だと思われる。時宗僧は従軍僧として負傷者の治療に当たり、亡くなると供養し、武功を記録して主君や家族に知らせた。戦の合間には、茶の湯や連歌などで荒む心を癒やしていたであろう。
 土岐氏の快川紹喜を恵林寺で焼き殺した信長を憎んだという。比叡山焼き討ちをはじめ光秀と宗教とのかかわりがどう描かれるのかも、ドラマの見どころの一つ。

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