ミスラ神から弥勒菩薩へ
2020年2月10日付 760号
2016年に開かれたG7伊勢志摩サミットで「テロと文化財」と題して披露されたのが、タリバンに爆破されたバーミヤン東大仏天井壁画の復元である。天井画の中心は「天翔る太陽神」で、4頭の白馬に引かれた馬車に乗るゾロアスターの太陽神「ミスラ」である。描かれたのは6世紀半ばで、新しい仏教のシンボルである大仏を古い宗教の神が見守るという構図が興味深い。
古い神が新しい仏を守る
アフガニスタンの首都カブールの北にあるバーミヤンは、古代からの都市バーミヤンを中心とするヒンズークシ山脈山中の渓谷地帯で、バクトリア王国によって1世紀から石窟仏教寺院が開削された。5〜6世紀頃には高さ55メートルの西大仏(弥勒仏)と38メートルの東大仏(釈迦仏)をはじめ多くの巨大な仏像が彫られた。630年にこの地を訪れ14日間も滞在した唐の玄奘は、「大仏は美しく装飾されて金色に光り輝き、僧院には数千人の僧が居住していた」と『大唐西域記』に書いている。
石窟の数が千以上にものぼるバーミヤンは仏教遺跡の宝庫で、1979年にソ連軍が侵攻するまでは世界的な観光地として人気を集め、71年には皇太子時代の上皇陛下ご夫妻が訪問され、パオに一泊されている。両陛下は大仏の横に掘られた通路を登って大仏を間近でご覧になり、非常に感動されていたという。その折、天井画も見られたであろう。その石窟大仏が2001年、タリバンによって破壊されたのである。不寛容の21世紀の幕開けを告げるような象徴的な事件であった。
バーミヤンの大仏は日本ともかかわりが深い。玄奘の紀行文を見た遣唐使が大仏のことを奈良に伝え、それを知った聖武天皇が民の安寧のため大仏造立を決意したからだ。
東大仏の天井画の復元は、模写とデジタル技術の融合によって実現した。日本の調査隊が1970年代から蓄積してきた調査資料や写真、ドイツの調査隊が持っていた三次元計測データを基に現物を再現し、さらに当時、金より貴重だったラピスラズリの青い顔料などを使って当時の色彩を蘇らせた。
こうした東京藝術大学の取り組みは、元学長の故平山郁夫画伯が海外に流出したアフガニスタンの文化財保護を唱え、日本に辿り着いたアフガニスタン流出文化財を「文化財難民」として保護・保管・修復したことに始まる。被爆者だった平山氏の平和への強い思いを感じる。
ミスラの両側に翼を持つ2人の女神がいるのはキリスト教の天使の影響で、女神の上にいる、上半身は人間で下半身が鳥、頭に冠をかぶり、手にたいまつを持っているのはゾロアスターの神官である。上部にいる布を膨らませた風神は中国新疆ウイグル自治区のキジル石窟の壁画にも描かれ、日本では俵屋宗達の「風神雷神図」になる。
バーミヤン壁画は、人類史上初の体系的な宗教であるゾロアスター教と、アレクサンドロス大王の遠征がもたらしたギリシャ文明、そしてインドで生まれた仏教とが融合した「東西文明の交流」の象徴である。
その象徴が、アジア世界で広く信仰された弥勒菩薩である。未来仏マイトレーヤ(弥勒)を軸とするメシアニズムで、人類史には終末があり、そこで救世主が現れるとの歴史観もゾロアスター教に由来する。釈尊入滅後56億7千万年ののちに、弥勒菩薩が兜率天からこの世に下生し、衆生を救済するとされた。微笑みの弥勒菩薩は中国、韓国を経て日本にもたらされ、人々に深い癒やしをもたらした。
2016年は日韓国交正常化50周年で、東京国立博物館で特別展「ほほえみの御仏─二つの半跏思惟像─」が開催された。出展されたのは、奈良・中宮寺門跡の国宝半跏思惟像と韓国国立中央博物館所蔵の国宝78号像で、どちらも国の至宝として国民に広く親しまれている。二体の仏像の対面は初めてで、まさに「夢の出会い」であった。
微笑みに癒やされ
争いが絶えず、現実が絶望的であればあるほど、人々は未来に救いを求める。その願いを、人々は弥勒の微笑みに託したのであろう。弥勒菩薩に対面すると、自らも微笑みの人でありたいと願うようになる。悩み苦しむ人にとって、寄り添ってくれる人の微笑みこそが、救いへの希望になるからだ。21世紀を寛容の世紀にするために、世界の人々に弥勒の微笑みが浮かんでくるようにしたい。