新年のご挨拶

2020年1月10日付759号 本紙代表 石丸志信

狛ねずみ

 令和二年庚子(かのえね)の年を迎え、謹んで新年のお慶びを申し上げます。
 昨年中は格別のご高配を賜り、心より御礼申し上げます。
 本年は、十二支が一巡して改元後初めての子年、西暦では2020年に当たります。新しい生命の萌芽を見る如く希望に満ちた一年の始まりです。
 昨年の秋に飛騨高山を訪問する機会がありました。地元の方の案内で水無神社の御神体と言われる位山(くらいやま)の山懐で「分水嶺」を見ました。山に降り注ぐ雨水も山から湧きいずる水も、ここで南北に分かれて水脈を結んでいき、北は宮川から神通川となって富山湾に流れ込み、南の飛騨川は木曽川に合流し伊勢湾に注ぐのです。
 平成から令和へと御代替わりした昨年、歴史の大きな節目を迎えたのを感じました。清き水が分水嶺を越えて四方に流れ出していく気配です。明けて本年、新しい生命の躍動が始まる年として、真実の光に照らされた平和な世界が現実世界に立ち現れることを願っています。
 「あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。」(イザヤ書48:18)。古の預言者はイスラエル民族が苦難にあえぐとき、希望のメッセージを伝えました。彼らは、天地の創り主から託された使命を軽んじたため、国家滅亡の憂き目に遭いました。精神的支柱である神殿と国家の守りを失った民族は、異国の地で自由を奪われた生活を強いられました。嘆き苦しむ民の中で、人々の心を神に向けさせ、悔い改めて神に立ち返るよう導いた預言者がいたのです。
 預言者は、単なる未来の予知をしたのではなく、本来あるべき民族の姿を示し、その設計図に従って生きるよう導きました。イスラエル民族は、そのことばの中に神の経綸を見いだし、時を経て解放の時を迎え、故郷に帰還することができました。
 その出来事は一民族の経験にとどまらず、歴史の教訓として学ぶものがあります。彼らが苦難のただ中で希望を見いだしたように、様々な困難に直面する今日の私たちにも希望はあります。人々が精神性を取り戻し、天地の創り主なる神に、大宇宙の根本に立ち返るとき、大いなる存在の描く「平和のビジョン」が私たちの胸に響いてきます。
 来るべき世に訪れる平和は、人間的な努力だけで生み出されるものではないことを実感します。人智を超えた神との関係の回復がなされてこそ始まる平和があります。心に起こる変革によって、憎しみや怨みを抱くことの苦しさを知り、ゆるし愛することで味わう喜びへと人々を駆り立てます。人と人との絆も新たにされるのです。雨の如く降り注ぐ神の愛は遍く地を潤すようになるのです。
 まれにみる大型台風が日本列島を襲った昨年、その動向を世界の人々が注視していたのに驚きました。遠く離れたところで起こる出来事も瞬時に伝わる時代、地球の裏側にいる被災者を心配し支援の手を差し伸べる世界になりました。彼の国の人々の不幸は私の悲しみであり、私の喜びは彼の人々の喜びとなる世界です。
 一国では到底解決し得ない多くの問題に直面する世界に、希望の燈火となる「平和のビジョン」を掲げ、その実現にむけて人々を駆り立てる使命が、宗教者には託されていると思います。
 56年前、晴れ渡った東京の空に響き渡ったオリンピックのファンファーレを思い起こします。今年の夏、東京から世界に向けて、新たな時代の到来を告げるファンファーレが高らかに響くことを願ってやみません。
 皆様のご健康とご活躍を祈念し、新年の挨拶に代えさせていただきます。