21歳の決心とその実践

シュヴァイツアーの気づきと実践(7)
帝塚山学院大学名誉教授 川上 与志夫

 若者の心は純粋で美しい。美しいものを素直に認めて賛美し、醜いものを忌み嫌い、弱者の苦しみに心を痛める。少年時代のアルベルトの家庭は、父は牧師で裕福とはいえなかったが、近隣の農民の家庭よりは恵まれていた。
 「ぼくより勉強のできる子が進学しないで、すでに働いている。ぼくは牧師の子として奨学金を受け、こうして勉強を続けている。この恵まれた環境を当然のこととして受けることは許されるのだろうか」
 18歳でシュトラースブルク大学の神学科に入学したころから、アルベルトはいろいろな面における社会的格差に心を痛めるようになった。
 「自分は好きな音楽を大先生に教えられている。大学では奨学金を受け、親に迷惑をかけないで勉学に打ちこめる。こんな幸せを独り占めしていいのだろうか」
 幼少時代からアルベルトは、動植物をはじめ弱者に対する同情心が強かった。弱者へのその思いが、あるとき思いもよらない決心へとつながっていった。
 21歳になった春休みのこと、彼は故郷のギュンスバッハでくつろいでいた。ある朝、ベッドでまどろんでいると、窓の外では小鳥がさえずっていた。その平穏で涼やかな鳴き声は、聖書に記された天来の声のように聞こえてきた。『自分の命を救おうと思う者はそれを失い、自分の命を投げ出す者はそれを救うであろう』(ルカ福音書9章24節)
 「自分にはこの幸せを当然のこととして受ける権利はないのではないか。恵みを受けた者は、恵みを返す義務を負うべきだ。多くの素晴らしい物を手に入れた者は、多くの素晴らしい物を人に分け与えるのが当然だ。苦しみや悩みから解放された経験のある者は、悩み苦しむ人をその地獄から解き放つ務めがある。貧困の苦しみ、病の痛み、心の悩みなどが世界には満ち溢れているではないか。自分の周りにあるそのような不幸を思いやり、弱者に手を貸すのが、人として歩む道、すなわち倫理ではないか。私はまだ人間として未完成だ。30歳になるまでは自分のため、すなわち、音楽と学問に生きることを許してもらいたい。それ以後は、直接人びとのために身を捧げよう」
 長い間もやもやしていた思いが、この決心で吹っ切れた。4月から5月にかけてのドイツは新緑と花におおわれる。神の細い声は春風と小鳥をとおして青年アルベルトの心にささやかれた。曇天は一気に晴れわたった。
 決心は神との約束である。誠実に果たす義務がある。その後のアルベルトの自己鍛錬には凄まじいものがあった。ベルリンではちがった教え方をする二人のピアノ教師に習い、パリではヴィドールからパイプオルガンの奏法を学んだ。一方、大学では猛勉強の結果、23歳で神学博士、24歳で哲学博士の学位を得た。
 神学科の講師として学生に接し、教会や音楽堂ではオルガニストとしての務めを果たした。その間にも彼は、30歳からの直接奉仕のあり方を模索するのだった。
(2020年1月10日付759号)